#22
夕方から雨という予想は、少し外れた。
夜になってから降り始めた雨は、途端に大降りとなって俺達の頭上から降り注ぐ。
川井とは店の前で別れ、俺は水森をマンションまで送り届ける為に車を走らせた。
ぽたり、ぽたりと髪から水滴が落ちていく。
バッグからハンカチを取り出した水森が、雨で濡れた頬を拭いてくれた。
「ありがと」
「濡れちゃいましたね」
「いきなり降ってきたもんな」
濡れた箇所から、急激に体が冷えていく。
季節は初夏だというのに、この寒さは何事かと思う。
早く風呂に入らないと、風邪をひきそうな勢いだ。
「今日、ごめんな。アイツも一緒に行きたいって聞かなくてさ」
「いえ。私は楽しかったですよ」
「まあ、たまには2人以外でもいいか。賑やかで」
「はい」
交際を隠す事が、必ずしもプラスになる訳じゃない。俺達の事情を知っている友人がいた方が、後々、助かる場合もあるかもしれない。相手があの川井だというところに不安は残るが。
「……結局、バレちゃったな。付き合ってること」
「いつまでも隠し通せるものでもないですし、仕方ないです」
「周りから何か言われた?」
「色々聞かれたけど、適当にあしらいました」
「そっか。困ってることあったらすぐ言えよ」
「ふふ、はい」
俺の隣で、水森が小さく笑い声をたてる。
最近の彼女は少しだけ、笑うようになった。
誰といても、基本的に真顔を崩さない水森だけど、俺と2人きりでいる時は、表情が幾分か柔らかくなる。
以前であれば、彼女の笑い声なんて聞くことすら叶わなかったのに。随分と進歩したもんだ。
叩きつけるような雨音が、車内に響く。
視界不良の中、なんとか彼女のマンションまで辿り着いた。
雨が止む気配は一向にない。
建物の入口まで近づいて、車を停めた。
この場所ならすぐマンション内に入れるから、然程濡れたりはしないだろう。
「じゃあな。また明日」
「……」
そう告げるものの、水森は助手席から降りようとはしない。
何の反応も無く、俺をじっと見上げている。
その瞳の奥には、何かを言いたげな意志が見え隠れしていた。
「どうした?」
「……あの」
「うん」
「お部屋、寄っていきませんか?」
「え?」
突然すぎる誘いに、目を見張ってしまった。
「いつも送ってもらってばかりで悪いですし」
「気にする事ないのに」
「雨で濡れちゃったし。服が乾くまで、お部屋でコーヒーでもどうですか」
こんな風に部屋に誘われたのは、実のところ、今日が初めてだ。
水森の言い分に不自然なところはないけれど、この誘いが何を意味してるのか、俺にはわからなかった。
言葉通りの意味なら、まあコーヒーくらいなら、と思える。
でも、別の意味での誘いだとしたら。
俺はどう答えればいいのだろう。
さっきまで柔和な笑みを浮かべていた水森は、いつもの無表情に戻っている。
感情を殺したような顔つきからは、彼女の意図を探ることは不可能だった。
「……じゃあ、折角のお誘いだし乗ろうかな」
自分がどうしたいかを判断した結果だった。
別に何かを期待していたわけじゃない。
もう少しだけ、一緒にいる選択をしたまでだ。
なんせ今日は、どこかのアホが横やりしてきて、邪魔なことこの上なかったから。
一度水森をマンションの中に入れて、駐車場まで車を移動した。
運転席から降りた後、一気に走り出す。
1階のエレベーター前で待っていた水森は、どこか緊張しているような面持ちで俺を見つめていた。
「部屋に着いたら、タオル貸しますね」
「うん、悪い」
そう言いながら、2人でエレベーターに乗り込む。
3階まで辿り着く間、水森は一言も言葉を発しなかった。
降りた後も、3階通路を歩いてる時も、俺達の間に会話は何も無かった。
水森は普段から、お喋りな方ではない。
そして俺も川井のように、べらべらと話すタイプでもない。
けれど、その場の雰囲気に合わせて会話を盛り上げるべきか口を閉ざすべきか、くらいの判断は出来る。特に水森は、その場の空気を読むのは俺より上手い方だった。
だから、普段の水森であればこの場合、自ら俺に話しかけてくるはずだ。
けれど、今日に限ってそれが無い。
なら俺から話しかければいい話だけど、別の事に思考を囚われていた俺に、そんな余裕は無かった。
ちらりと隣を見やれば、水森は少し俯き加減に歩いている。その横顔はどこか硬い。
どう声を掛けたらいいかと思案する中、彼女の髪の先端から、雨の雫が落ちる様が目に映った。
白いうなじを伝い、服の中に吸い込まれていく。
直視してしまって、思わず視線を逸らした。
本当に勘弁してほしい。
俺だって男だ。一人暮らしの女の子の部屋、その相手が恋人であれば、邪な感情のひとつやふたつ、湧き起こってしまうもの。
変に期待しそうになって、はやる気持ちを抑えるのに精一杯だった。