#08
「今日はラーメンの気分です」
……結局のところ、グルメアプリで検索しまくった俺の努力は報われなかった。
まさかのラーメンをチョイスされ、一瞬固まる。さすがにリストには載っていない。それすらも想定外だった。
仕方ないので適当に街をぶらついてみれば、紺色ののれんがマッチした、庶民的な外観が目に入る。
『ラーメンよろず屋』と書かれた扉を開ければ、威勢のいい店主の声が、店内に響き渡った。
「あのさ」
「はい」
「水森は、なんでアジュールに来たの?」
俺の問い掛けに、彼女の顔が上がる。
目が合ったのは、ほんの一瞬。
水森の視線はすぐ、手元の割り箸に落ちた。
麺を掬い、そのままれんげに入れながらゆっくりと食している。その方が熱々の麺を冷ましやすいからだろう。
なんというか……女子の食べ方だな。
女子だけど。
傍らに避けられた空の器(2つ)を見る限り、その食べっぷりは全然、女らしくはないが。
「稼ぎたかったからです」
なんともシンプルな答えが返ってきた。
水森が注文したのは、野菜がてんこ盛りの濃厚味噌ラーメンと、味噌バターラーメン。今は辛味噌もやしラーメンを食べている。
どちらも味がくどそうだが、彼女は気にする風でもなく、黙々と麺を啜っている。
思わぬ珍客で店の売り上げが倍増し、店の主人も機嫌がいい。輝かしい笑顔で、来店客を明るく出迎えていた。
「なあ水森」
「なんですか?」
「収入がいい職場で働きたいっていうのは、みんな同じだと思うんだ。俺だって、そう思ってたし」
「はい」
「水森がアジュールに来た理由は、別にあるんじゃないか?」
俺達の会社は特殊だ。
絵画という、一般的に扱いが難しい商材を顧客に売る。名のあるクリエイターと契約を結び、展示会、販売会へと繋げる。
口で言うのは簡単だが、相当なセールス力が無ければ、それらは全て成し遂げられない。高額な商材ほど顧客は慎重になり、作家は悪質商法かと疑い、受注や契約に結びつかないケースも多いからだ。
確かに絵画商材は、成功すれば見返りか大きい。
でもそれは、逆に言えば他社の方が、営業で成功する確率が高いという事になる。
『稼げる職場』が条件であれば、何も難易度の高いアジュールにこだわる必要はない筈だ。
稼ぎたいからと水森は言うが、この会社を選んだ理由はそれだけじゃない気がした。
「キリタニさんは?」
「え、俺?」
「キリタニさんだって。今の会社にこだわる必要がないなら、アジュールに来た理由は別にあるんじゃないですか?」
思わぬ切り返しを受けて、言葉が詰まる。
「……俺は、」
──人と違うことがしたい。
そう思ってた。
『1時間で、100万円の絵画を売る』
誰もが見向きもしなかった。
釣りだと鼻で笑っていた。
詐欺だとアジュールを馬鹿にした。
でも俺は魅せられた。
あのキャッチセールスが本物なら、俺はもしかしたら、同じ年代の奴らでは成し得ない事ができるかもしれない。
他人と違う道。目標。
そこに、大きな魅力を感じた。
自分が特別な人間だとか、そんな風に思っていたわけじゃない。
むしろその逆で、俺は努力に努力を重ねて、やっと普通のレベルになれる程の要領の悪さだ。
人並み以上の努力をしたから、学力もそれ以外でも、結果を残すことができた。
"志は常に高く"
努力が必ず実を結ぶわけじゃない。
でも、手が届くこともある。
そして、手が届いた時に湧く感動を、俺はもう知っている。
アジュールの説明会に出向いた時、そのビジョンは更に強まった。
確かな営業力を維持発展させ、全国展開を図る。ゆくゆくは、各地で地域密着型の営業を行うことを、当時の担当者は口にした。
その熱意は俺達にも伝わってくる。
この人達は本気で、このアジュールをでかい企業にしようとしている。
その会社が変わる瞬間に、俺も立ちたいと思った。いや、会社を変えるひとりになりたかったんだ。
あまりにも無謀すぎる挑戦。
でも、やる価値はあると思ったから、アジュールへの入社を決めた。
……今思えば本当に、ガキみたいな発想だったと思う。
水森は、黙って俺の話を聞いていた。
途中で口を挟むこともなく。
そして一通り話した後、
「私も同じですよ」
俺に共感してくれた。
「アジュールに行けば稼げると思ったのは、直感です」
「……直感」
「あのキャッチセールスに、私も惹かれました。あの一文を、文字通りに受け取るか、それとも何か別の思惑があるのか。そう考えた時に、後者だと気付いたんです。人事担当の方は、わざと煽って私達を試したのではないでしょうか」
「わざと……?」
「はい。あのキャッチセールスを鵜呑みにする輩がいるとしたら、楽して稼ぎたいと思っている能無しのお馬鹿さんか、本気でお金を稼ごう、成功してやろうと思ってる人。会社が欲しい人材は、後者の人達ですよね」
「……確かに、そうだろうな」
「だから、この会社はお金を稼ぎたい人達が集まっているんだろうと思いました。あの胡散臭いキャッチセールスを、本気で狙いに来る人達が集う場所です。そういう人達は、成功したいばかりに仕事意識が高くなります。そんな職場で、自分の得意分野を活かしたいと思いました」
「得意分野?」
「はい。私、情報収集が好きなので」
……ああ、なるほど。
だからマーケ所属なのかと納得した。
あの付箋だらけのファイルは、情報収集が好きな彼女の痕跡の証だ。付箋自体も、普段から持ち歩いているんだろう。
「今はまだ無理でも、着実に結果を残していけば、いつか大きなお仕事が貰えるかもしれない」
「……」
「いつか私も、何かデカい事がしたいと思う日が来るかもしれない」
「……」
「何かをしたいと思った時に、お金が理由で諦めたくはありません。だから私は、アジュールに来ました」
凛とした声。
真っ直ぐな言葉が、心を震わせる。
……ああ。
なんか。
やばい。
すげぇ感動した。
結局俺は、自分を過大評価していたんだ。
努力すれば何とかなる。
今までだって、そうだったから。
驕った考え方だとしても、確実に結果は出始めていた。
なのに、仕事を貰える機会は来ない。
他の部署と仕事を請け負うことも無い。
いつまで経っても新人扱いで、研修の日々。
そんな現状に不満を抱いていた。
水森は俺よりも、明確なビジョンを抱いてる。
ずっと先を見据えてる。
今の現状も「いつか」の為だと、腹を括っている。
「稼ぎたいからアジュールに入社した」なんて、他の奴が聞いたら痛いヤツだと思われるだろうが、本質はそこじゃない。
アジュールには仕事意識が高い人間が集まってくる。だから自分はここで仕事がしたいと、彼女はそう言ってるんだろう。
俺だってそうだ。
あのキャッチセールスを見た時、水森と似たようなことを思った。
『甘ったれた理想では成功できない』
文面から伝わってくる、強いメッセージ力。
難易度の高い仕事に挑戦して、成功を得たい。そんな人間がアジュールに集まっていると悟った時、全身が熱くなるような昂りを覚えた。
……なんだ。
水森も俺も、同じ理由か。
「……はは」
乾いた笑みが零れた。
突然笑い出した俺に、彼女は訝しげな視線を送ってくる。
「私、変なこと言いましたか?」
「いや。かっこいいなとは思ったよ」
「かっこいい、ですか」
本人はあまり嬉しくない様子だった。
そりゃそうか。女の子が男に「格好いい」なんて言われても、嬉しくはないよな。
でも、正直な感想だ。
考え方も発言も男前で、頭の回転が速い上にボジティブだ。男の前で媚びる訳でもなく、はっきりと自分の意見を言えるのもすごいと思う。
それに比べて、俺の腐りようは何だ。
毎日がつまらない、なんて言ってる場合じゃないだろ。
もっとこの子と話がしたい。
仕事に対する姿勢、内容、考え方。
あげたらキリがないけれど、きっと、全部楽しいんだろう。
うん。
水森と話すのは、楽しい。