#06
毎月訪れる、女子特有の憂鬱な期間。
生理が昨日、終わった。
「………えっちしたい」
つまり私の、性欲が増している。
女がセックスしたくなる時期って大体決まっていて、生理前とか最中が統計学的に多いらしい。
でも私は、生理後が一番性欲が強い。
排卵時期になると膣内が弱アルカリ性になって、それが刺激になってムラムラしてしまうのが原因だとか聞いたことがあるけれど、医学的な話はよくわからない。
とにかく、セックスしたい。
野性的なやつ。
それだけが頭の中を占めていた。
「? なんか言ったか」
「……いいえ」
夜20時。
例のごとく、卯月さんの部屋でのんびりしている私。もちろん、いつもの夕食会だ。
でも私の精神状態は全然のんびりしていない。
禁欲生活も7ヶ月目に突入して、さすがに色々しんどくなってきた。
時期的なものもあるかもしれないけど、もう身体が疼いて仕方ないのだ。
「なあ、今日泊まってく?」
「うーん……考え中」
「ふうん」
私の禁断症状に気付くこともなく、卯月さんはさっさとキッチンへ戻ってしまう。
きっと、食後のデザートでも用意してくれるんだろう。いつもそうだから。
ほんと、お母さんみたい。
最初の頃は、こんなに長い付き合いになるなんて思っていなかった。
彼自身もそう思ってると思う。
今ではすっかり、彼に気を許してしまっている自分がいる。
最近は彼の元に頻繁に訪れているし、卯月さんも私の部屋に来てくれるようになった。たまに、くまちゃんに会いに来てくれる。
週に2回程度だった夕食会も、4、5回に増えた。時々、彼の部屋に泊まることも増えた。
「泊まってけば」って、いつからかそう誘われるようになってからは、その言葉に甘えて、ここで一夜を過ごす事もある。
でも、だからって何かがある訳じゃない。
卯月さんは相変わらず、私を抱いてくれない。
そんな素振りも見せない。
それとなくアプローチしてみても、さらりと交わされてしまう。
元カノと別れて半年以上、そろそろ卯月さんに新しい恋人が出来てもおかしくない。
勿論彼にそんな対象ができたら、私はもう卯月さんとは会わない。というか、会えない。
でも今のところ、そんな新恋人の影はない。
新しい彼女が出来てしまう前に、一度だけでいいから彼に抱かれたいと思っていたけれど。
……その意地は、そろそろ崩れかけている。
「……もう諦めようかな」
テーブルに突っ伏したまま弱音を吐く。
半年以上一緒にいても、卯月さんの部屋に泊まっても、彼にとって私は性の対象にはならないらしい。
栄養バランス良すぎなご飯を頂いているお陰か、私の体はいい感じに肉がついてきたような気がする。と言っても体重管理はしっかりしているし、太ってはいない。
でも、卯月さんは私に触ろうとしてくれない。
中身も含めて女を磨け、なんて言ってたけど、中身なんて早々変われるはずがない。
子供扱いされることも多いし、卯月さんにとっては成人迎えたばかりの大学生なんて、全く眼中にないんだろう。邪な感情すら沸き起こらないほどに。
もう、何やってもダメな気がしてきた。
卯月さんと一緒にいる時間が好き。
彼の前では、自然体でいられる自分がいる。だから、すごく気が楽で居心地がいい。一緒にご飯を食べられる日は朝からウキウキだ。
でも、そこには少なからず下心もあって。
今日こそ抱いてくれるかも、なんて淡い期待を抱きつつ彼と会って、そして結局何も起こらず、落胆する日々。
その毎日に、少し疲れてしまった。
もう抱く抱かない関係なく、普通に会えばいいんじゃないかとも思うんだけど、それまで色々手を尽くしてきたこの半年間は何だったんだろうと落ち込んでしまう。
一度でいいから抱かれてみたい、その一心で、今日まで頑張ってきたのだから。
そして、それは卯月さんだって気づいているはずだ。
耳を澄ませば、遠くから物音が聞こえてくる。
リビングの端っこには、私の荷物。
いつ泊まってもいいように、着替えをいくつか置かせてもらっている。
「……今日は帰ろうかな」
泊まってしまったら、私は今夜、卯月さんを襲ってしまうかもしれない。
とにかく今は、持て余しているこの性欲を発散しなければヤバイ。卯月さんの件は、また今度考えよう。
そう決断した私は、早速スマホを取り出した。
電話帳からタケくんの番号を探していたとき、コト、とテーブルに音が弾く。
顔を上げれば、そこには大好物のコーヒーゼリー。ちょこんと生クリームを乗せたそれは、ぷるぷるとした感触を震わせている。
食べ終わってからタケくんに連絡しようと、一旦スマホを床に置く。
「いただきまーす」
一緒に差し出されたスプーンを受け取って、一口掬って口に運ぶ。ほろ苦い味わいと生クリームのバランスが絶妙すぎて、思わず頬が緩んでしまう。
ふと顔を上げれば、卯月さんと目が合った。
彼は頬杖をつきながら、私を見ている。
ゼリーは私の分しか用意していなかったみたいだ。
「奈々」
「うん?」
「今日、泊まる?」
「ううん、帰る」
「帰んの?」
「うん」
「ふーん。じゃあ送るわ」
「あ、いいよいいよ。このまま出掛けるから」
ぱくぱくと、ゼリーを口の中に放り込む。
おいしい。
長かった禁欲生活から解放される喜びも勝って、沈んでいた気分も一転、ふわふわと舞い上がる。
「出掛ける? こんな時間に、どこに?」
卯月さんの低い声が聞こえた。
「歓楽街」
「……は? なんで」
「遊びに」
「……ひとりで?」
「男友達と」
「………」
コーヒーゼリーが残り僅かになった頃、突然目の前からゼリーが消えた。
卯月さんの手が、私から器を引き離したからだ。
取り返そうと手を伸ばしても、更に遠くへと避けてしまう。
「何すんの」
「お前こそなにしてる」
「ゼリーを食べてます」
「そっちじゃなくて」
「む?」
「俺以外の男と会うなよ」
「え……」
こて、と首を傾げる。
私が誰と会おうが、私の勝手なのでは。
「奈々の言う男友達って、いかがわしい友達の事だろ」
「そうですね」
「まだ男遊びしてんのかよ」
途端に空気が氷点下になる。
何の前触れもなく不機嫌になっちゃった卯月さんに、私は困惑した。
なんで、今更そんなことを言うんだろう?
私がそういう女だって、卯月さんは知っているはずだ。知っていても、やめろなんて今まで言わなかった。馬鹿にしたり、軽蔑したりもしなかった。
私のしていることを全部、受け入れられていた訳じゃないけれど、一方的に責めたりなんてしなかったから私は安心してたのに。
どうして今になって咎められるのかわからない。
「なんで怒ってるんですか」
つい、私の語尾まで荒くなる。
「そら怒るわ」
「だからなんで!」
「付き合ってる彼女が浮気してたら普通怒るだろ」
その発言に、目をぱちくりさせる。
今、とっても聞き捨てならない一言を言われた。
「付き合ってる彼女………って、誰?」
「…………はあ?」
素噸狂な声を上げたのは卯月さんだ。
「誰って……お前だろ」
「え……付き合ってないですよ?」
「…………は?」
「え?」
は? とか言われても困る。
むしろ私の方が、「?」だ。
卯月さんが言う『付き合っている』発言は、男女のお付き合いって意味だ。夕飯を付き合っている、なんて意味じゃない。それぐらいはわかる。
私、知らない間に卯月さんと付き合ってたの?
いや、そんな筈はない。
そりゃ、最近はよく一緒にいるし、休みの日は2人で出掛けたりもするし(海鮮市場とかスーパーとか)そのまま寝泊まりすることもあるけど、今まで「好き」も「付き合おう」も言われたことはない。
私から言ったこともないし、そんな意思もなかったし、そもそも互いに恋愛感情は持っていない。
だから私達は付き合っていない、はずだ。結論。
でも、卯月さんは納得していない様子。
「………ちょ、待て」
私としては、早く食べかけのコーヒーゼリーを完食して、部屋を出たいんだけどな。
「待て」と言われたから、一応待ってみる。
「……結構な時間、一緒にいただろ」
「そうですね」
ご飯食べに来てただけだけど。
「デートもしただろ」
「あれってデートだったの?」
食材の荷物持ちだと思ってた。
「……合鍵も渡した」
「勝手に入っていいって言われたから」
「寝泊まりもしてるだろ」
「いつも快適な寝床をありがとうございます」
「…………」
卯月さんの部屋に寝泊まりする時は、彼が寝ているベッドを使わせてもらってる。対して卯月さんは、床かソファーで眠ることが多い。
お邪魔してるのは私だし、私がソファーか床で寝るべきなのに、卯月さんが頑なに却下するから、彼の言葉に甘えさせてもらってる。
「………部屋にも行った」
「くまちゃんの遊び相手としてね」
お陰でくまちゃんは、卯月さんを友達だと思ってる。
「……俺は彼氏のつもりで行った」
「えー」
初めて聞いた話です。
「………もう一度聞くけど」
「はい」
「俺達、付き合ってるよな?」
「付き合ってないです」
「…………」
口を開いたまま、私を見つめる卯月さん。
その表情はみるみるうちに険しくなって、
「なんだそれ………」
と、肩を落としてうなだれてしまった。
私達の噛み合わない会話は、どうやら卯月さんの思い違いが原因だったみたいだ。
誤解が解けたみたいでよかった。
だって私は、まだまだ遊び足りない。
いきなり彼氏が出来ても困るもん。
「えっと、そういう事なので」
「…………」
「これ食べたら帰りますね」
さりげなくゼリーを奪い取って、最後の一口を掬って味わう。
早くタケくんに連絡取らないと。タケくんは私以外にもセフレがいるから、他の女の子と遊びに行っちゃうかもしれない。他の人でもいいんだけど、身体の相性はタケくんが一番なんだよね。
そんな事を考えながら、ごちそうさま、と両手を合わせる。
空になった器をキッチンへ運ぼうとしたら、すれ違い様に捕まった。
卯月さんの手が私の手首を、ぎゅ、と握る。
「卯月さん?」
「だめだ」
「え」
「行かせない」
「でも、これ洗わないと」
「キッチンに、じゃない。男の元に行かせないって言ってる」
はた、と瞬きを落とす。
冗談でも何でもなく、卯月さんの目は真剣だった。
でも、私だって譲れないわけで。
「卯月さん」
「んだよ」
「離して」
「やだね」
「うー、ワガママですか」
「わかった抱いてやる」
空耳かと思った。
それは、ずっと待ち望んでいた言葉。
あまりにも突然すぎて、思考が追い付かない。
目を見開きながら呆然と立ち尽くす私に、卯月さんがもう一度、誘いを促す。
「抱かれたかったんだろ、俺に」
その一言で我に返った私は、弾かれるように卯月さんの前に体を滑り込ませた。
ゼリーの器を一旦テーブルの上に置く。
その場にしゃがんで、彼に身を乗り出した。
顔の距離が近いとか、そんな事は一切頭に入ってこない。
「ほ、ほ、ほんとにっ!?」
「ああ」
聞き間違いじゃない。
幻聴でも何でもなく、確かに彼は頷いた。
全身に喜びが満ちていく。
抱くって!
抱いてくれるって言った!
嬉しくて嬉しくてたまらない。
ずっと、ずっとこの日のために頑張ってきたんだ。
食事改善に彼好みの体型作り、卯月さんの都合にとことん合わせて、彼のマンションにも足繁く通った。今まで教えてもらった料理も、ノートに書き残して全部覚えた。
私は手が不器用だから料理も上手く出来なくて、だから家に帰ってからも、何度も作り直した。それなりに上達した方だと思う。
苦手な料理を頑張れたのは、卯月さんに好かれたかったから。
褒められたかったから。
いつか彼に抱いてもらえた時に、「抱く価値のある女だった」って、そう思ってもらいたかったから。
その努力が、やっと今日実るんだ。
これが嬉しくないはずがない。
私に尻尾がついていたら、きっとはちきれんばかりにぶんぶん振っていることだろう。
でも私のこの喜びようは、次に彼が発した言葉で大人しくなる。
「……お前、俺が言ったこと、本当にわかってんのか」
すっかり浮かれている私とは裏腹に、卯月さんの機嫌は最悪だった。
顔がこわい。
どうしてそんなに怒っているのか、そしてその発言の意味もわからなくて、二重の意味で混乱する。
「卯月さ、ん……っ!?」
私が彼の名前を呼ぶのと、肩を掴まれたのはほぼ同時だった。
体の重心が後ろに傾く。
目の前で視界が巡る。
反射的に閉じてしまった瞳を開いた時には、フローリングの床に押し倒された後だった。
卯月さんの体が、重く圧し掛かる。
「……奈々」
私に跨がっている彼を凝視する。
鋭い視線が上から刺さって、体が硬直した。
抱いてやる、そう宣言されたのだから、今のこの事態は、むしろ私が望んでいた結果の筈なのに。
不穏な空気を察知した胸が、ざわざわと騒ぎだす。
「……お前に抱いてって言われたから、抱くわけじゃない」
「え……」
卯月さんの顔が切なげに歪む。
なんで、そんなに苦しそうなんだろう。
「俺、言ったよな」
「……何を?」
「好きな女じゃないと抱けないし、抱かないって」
「………」
「そういう事だから」
落ちた声はとても静かで。
紡がれた言葉は空気に振動して、耳に届く。
その意味がわからないほど、鈍くはない。
私、今、告白されてる。
卯月さんから、愛の告白を受けてる。
衝撃すぎて、何も言葉が出てこない。
冷たいフローリングの上に押し倒されたまま、私はただ彼を見つめていた。
1秒1秒が、とてつもなく長く感じる。
何か言わなきゃ、気が焦れば焦るだけ、何を言ったらいいのかわからなくなる。
沈黙が重い。
何も言わない私に焦れたのか、卯月さんの顔が一気に間を詰めてきた。
「……っん、」
ぱち、と瞬きを繰り返す。
目の前にある、卯月さんの睫。
唇に押し付けられた熱はどことなく、切羽詰まった意思を感じさせた。
角度を変えながら、何度も唇が塞がれる。
体から力が抜けて、彼の首に腕を回した。
卯月さんの唇が徐々に下へと滑り、肌を吸われて赤く色づく。
首筋に吐息が掛かり、その熱さに身体が疼く。
「っあ、卯月さん……っ」
期待感で胸が震える。
頭の中が、彼に抱かれる事でいっぱいになる。
もっと触れてほしくて、私は甘い声でねだった。
「あのね、シたいの。いっぱいシたい」
「……してやるよ。足腰立たなくなるまで」
不穏な言葉で制して、卯月さんが身を起こす。
頼もしい両腕に抱えられて、ふわっと体が浮いた。
落ちないように、彼の首にしがみつく。
姫抱っこされたまま、寝室に運ばれた。
ベッドの上に寝かされて、卯月さんはすぐさま、私の上に覆い被さってくる。
交わす言葉は何もない。
一瞬目が合っただけで、彼はすぐ唇を塞いできたから。
激しいセックスが好きな私だけど、卯月さんはどういうセックスをしてくれるんだろう。
そんなことを想像しただけで、下腹部が疼く。
さっきのキスは、思いのほか優しかったように感じる。肌を這う手も唇も、割れ物を扱うかのように、慎重に、ゆっくりと触れていた。
彼は案外、そういうセックスが好きなのかもしれない。夢中で求めるような激しいものではなく、むしろ、肌の触れ合いをじっくり堪能するようなスローセックス。
自分の趣向とは違うけど、今は何でもいい。
優しい愛撫に胸を高鳴らせながら、私はもう一度、彼の首に両腕を回した。
その後わたしはめちゃくちゃにされた。
すごかった。