#04
散歩をしていたら、卯月さんに会った。
5日ぶりの再会だった。
「……よお」
「どうもです」
ほらね、やっぱり。
住んでる場所が近いと、偶然すれ違っちゃう。
「アンタの犬?」
卯月さんの視線が、私が握っているリードに向き、そして下に落ちた。
そこにいるのは、一匹の白い子犬。
テディベアを思わせる柔らかな毛につぶらな瞳。
従順で甘え上手のマルチーズ。私の愛犬だ。
短い手足でぽてぽて歩き、卯月さんをじっと見つめている。
「うん、そう」
「へえ。名前は?」
「くまごろう」
「は?」
「くまごろう、です」
なぜか不満そうな顔をされた。なぜだ。
「変な名前」
「変じゃないよ。ね、くまちゃん」
「わう」
私の主張に同意するように、くまちゃんが小さく吠える。
「ほらね」
ドヤ顔で告げれば、彼の眉間に皺が寄る。
その場にしゃがみこんで、白い頭に手を置いた。
ゆったりと撫でる手つきに、くまちゃんも嬉しそうに尻尾を振っている。
「おい犬」
「わう?」
「お前だって嫌だよな、そんな変な名前」
「わう」
「ほら見ろ。本人も嫌だって言ってるじゃねえか」
「違いますよ。今のは、『そんなことないですこの名前気に入ってます』って言ったんですよ。ね、くまちゃん?」
「わう」
私と卯月さんの問いかけに、律儀に返事をするくまちゃん。
絶対私の言い分が正しいと思うのに、卯月さんは全然納得してくれない。
相当、この名前がお気に召さないらしい。
「飼い主だからって遠慮することないぞ。『勝手に変な名前つけてんじゃねえクソビッチ』って言ってやれ」
「くまちゃん、言ってあげて。『ボクこの名前気に入ってます』ってこの人に言ってあげて」
「わう(メシくれ)」
「ほら、本人も気に入ってますって言ってる」
「ちげーよ。今のは変な名前つけんなって言ったんだろ」
全く噛み合っていない2人と1匹の会話はしばらく続き、互いに主張を曲げないまま、無駄に時間は過ぎていく。
くまちゃんは繰り返される口論に飽きたのか、頭上でひらひらと舞う蝶々を目で追っていた。
「アンタのマンション、ペット飼えるんだな」
ふと、卯月さんがそう言った。
頷きかけて、「しまった」と内心焦る。
この周辺で、ペット可なマンションなんてそう多くない。探そうと思えば、対象を絞り込んで探し出すことができる。そんな情報を相手に与えてしまった事に、危機感を覚えた。
卯月さんがやましい事をするなんて思ってない。
それでも、まだ出会って2回目の人を安易に信用するほど、私は緩くない。
先日の帰り、「夜遅いから」と彼が途中まで見送ってくれたけれど、マンションの手前までで遠慮してもらった。住んでいる場所を知られたくなかったからだ。
なのに、警戒心が薄れてしまっていた。
いつもなら出来ることが、卯月さん相手だとできなくなる。調子を狂わされる。
「卯月さんのマンションは?」
彼の問いかけには応えず、質問返しをする。
「ペット不可だ。猫も小型犬も」
「じゃあ、失恋の痛みを愛らしい動物で癒すこともできませんね」
「やかましいわ」
ズゴ、と頭上にチョップが入る。
この間のデコピンといい、この人は結構容赦がない。
痛い、と訴えれば、彼は意地悪そうに笑った。
恋人と別れたばかりなのに、沈んでいるような表情は見えない。
不機嫌な様子でもない。
失恋自体の痛みは、本当に無いようだ。
もう関係は冷めきっていたって、本人も言ってたもんね。
「卯月さん、どこ行くの?」
「コンビニ。昼食の材料買いに」
「昼食も作るの?」
「当然だろ」
まさか、朝昼晩3食とも、手料理なんだろうか。
昼はおにぎりか、パン1つで済ませてしまう私とは大違いだ。
「私もコンビニ行こうかな」
「あー、来れば」
「ちなみに昼食なんですか」
「チャーハン」
「わあ……」
料理上手な卯月さんの、お手製のチャーハンなんて絶対美味しいに決まってる。
「食べたいのか?」
「たべたい」
「じゃあ来れば」
「部屋に?」
「うん」
そんなあっさりした会話のやり取りで、2度目の訪問が決定した。
「先に言っておくけど抱かねえからな」
「え」
「え、じゃねえよ」
不埒な考えは既にお見通しだったらしい。
・・・
卯月さんのマンションにくまちゃんは連れていけないので、一度自宅マンションに戻ってから、再度、卯月さんの部屋へと訪れた。
部屋に足を踏み入れた瞬間に、香ばしい匂いが鼻腔を掠める。
チャーハンの香りに食欲をそそられたお腹が、きゅう、と鳴く。
「もうお腹すいた……」
「朝飯食べたのか?」
「食べたよ。トマトとキュウリ」
「は? それだけ?」
「ヨーグルトも」
「足りなくないか?」
「朝はあまり食欲が」
と言ったところで、額にデコピンされた。
卯月さんは暴力的な人だ。
「アンタ、肉ちゃんと食ってるか?」
う、と言葉が詰まる。
肉は、あまり食べない。
嫌いじゃないけど、意図的に避けている。
動物性タンパク質は内蔵に負担がかかるし、腸の消化時間も長い。デトックス効果が望めない。
脂成分が多い肉は、どうしても体重管理の維持が難しくなる。だから基本的に、野菜と魚中心の食生活になってしまう。
「ダメだろそれ」
「だめなんですか」
「バランスが悪すぎる」
卯月さんが炊飯器を開けると、もわ、と白い湯気がたちこめた。
同時に、濃厚な香りが室内に充満する。
チャーハンとは違う、美味しそうな肉の匂い。
炊飯器で何作っていたんだろう。
「肉食べないと、タンパク質もミネラルも脂質も全然摂れないだろ。栄養が偏る」
「でも、魚で補ってるし」
「それじゃあ駄目だ。骨密度が下がる」
「こつみつど」
「くしゃみしただけで骨折れるぞ」
「え」
それは嫌すぎる。
「……っていうのは大袈裟だけど、それぐらい肉って大事だから。減らすにしても、適度に食え」
そう注意を促す卯月さんは、皿の上にチャーハンを盛り付けて、炊飯器から取り出した何かを、ご飯の上に乗せた。
覗いてみれば、それはチャーシューだった。
かたまり肉で作ったそれは、チャーシューにしては分厚くて、こんがりと焼き色がついている。事前にフライパンで焼いたのかも。
たれがトロリと滴り落ちて美味しそう。
「……チャーシューって、炊飯器で作れるんだ」
ガスコンロでチャーハン、炊飯器でチャーシューを作る卯月さんの二刀流すごい。
素直に感心していたら、卯月さんはチャーシューを箸で摘まみ、私の口元まで運んできた。
食べてみろと言われて、口にくわえる。
噛んだ瞬間に煮汁がじゅわ、と溢れ出した。
甘タレでからめたチャーシューが、口の中でトロットロに溶けていく。絶品過ぎる。
「おいひい……」
久々に、ちゃんとした肉を食べた。
感動で呆けている私を見て、卯月さんも満足そうな顔してる。
その後はテーブルに運び、向かい合わせに座った。
数枚のチャーシューを乗せた2つ分のチャーハンと、ガラスの小鉢に入った色とりどりの野菜。そして、コンソメスープ。
私にとっては豪華すぎるお昼ごはん。
朝ごはんは野菜だし、夜は基本外食。昼食にいたっては、抜いてしまうことも多い。
私の偏った食生活ぶりを聞いていた卯月さんの顔が、徐々に険しくなっていく。
「……今はそれでよくても、そのうちガタがくるぞ」
らしい。
どうやら食生活を見直す必要があるみたい。
「わかった……肉も食べる」
とろとろのチャーシューに舌づつみを打っていたら、小さく笑われた。
「ほんと、素直だな」
「?」
「朝霧、料理できんの?」
「できない……」
「じゃあ家に来い」
「へ」
突然のお誘いに目を丸くする。
「え、同棲?」
「違う。たまにご飯食べに来い」
「ごはん?」
とっても健康的な理由だった。
でも、いいのかな。
「料理できないくせに、食生活改善しようなんて無謀なんだよ。大体、料理できないんじゃなくて、朝霧の場合、料理しないんだろ」
「う」
アタリ。
ぐうの音もでない私に、卯月さんは鼻で笑う。
「教えてやる」
「料理?」
「これも、作れるようになるぞ」
美味すぎるチャーシューを指差して言う。
「まあ、アンタが嫌なら別にいいけど」
残り僅かな量をれんげで掬い取って、卯月さんがチャーハンを口にする。その表情や言い方に、特別な含みは感じられない。発言自体に、下心はなさそうだ。
だから私は、この卯月さんの誘いをちゃんと考えてみた。
卯月さんとは、出会ってこれが2度目。
まだお互いの事も知らなすぎて、信用に値する人かどうかの判断も難しい。なのに、既にご飯を共にしている仲だ。
先日と、今日。この人と話してみて抱いた印象は、とにかく俺様気質だ。始終偉そうで、口も悪い。私がもっとも苦手とする人物。
でも、一緒にいても全然嫌じゃない。
苦痛だと感じない。
この人は本来真面目な人で、困ってる人を放っておけない性格の持ち主。俺様な態度が邪魔をして本質が見えづらくなってるけど、きっと、優しい人だ。私には害のない人だと思う。
そう断言できるほど、まだこの人を信用してる訳じゃないけれど。
それでも、美味しいご飯を食べながら会話を弾ませるこの時間が、楽しいと思ったから。
「また来てもいい?」
それが私の出した答え。
「来たいときに来れば」
「週末の方がいい?」
「平日でもいいけど。19時頃にはいるし」
「うん」
「連絡先交換するか。来たい日に連絡して」
卯月さんがスマホを取り出したから、私も慌てて箸を置いた。
ポケットからスマホを抜いて、傾ける。ぴろん、と音が鳴った。
男の人と連絡先を交換するのは慣れっこだけど、相手は全員セフレだ。セックスしたくなったら誰かしら呼んで、夕飯を食べに行ってからラブホに行くのが、いつものお決まりコースになっている。
こんな風に、セックス無しで男と連絡先を交換するのは、久々かもしれない。
「……卯月さん」
「なに」
若くてピチピチの現役女子大生と連絡先を交換できたにも関わらず、卯月さんは浮かれている様子もなく、態度も表情も普通だった。
「……ただ夕飯を頂くだけでは申し訳ないので、お礼と言ってはなんですが、私の身体で、」
「いらね」
即座に断られた。