#17
それから程なくして、マンションに辿り着く。
シートベルトを外し、水森が助手席から降りた。
その姿を見届けてから、俺も運転席を降りる。
そのままお別れだと思っていたらしい水森は、俺の行動に首を傾げていた。
「部屋の前まで送ってく」
そう告げて手を差し出せば、水森は戸惑いつつも、おずおずと手を差し出してくる。
緩く握った手は滑らかな曲線を描いていて、温かくて柔らかい。
頬を染めながら唇を結んでいる水森は、なんというか、とても可愛かった。
彼女の部屋は3階にある。
さほど遠い距離でもない。
だから手を繋いだところですぐ離さなければならないけど、彼女の特別なポジションに立てた事が嬉しくて、その立場を実感したかった。
そんな格好悪いことを言う勇気もなく、マンションの中に足を踏み入れる。
エレベーターを素通りしてわざと階段を使うあたり、わかりやすいなと自分でも思う。
3階の上り口に着く頃にはお互い息が上がっていて、間抜けすぎて少し可笑しかった。
「今日は、誘ってくれてありがとうございました」
部屋の前に着き、水森が俺に頭を下げる。
こんな時でも彼女は丁寧だ。
「こちらこそ。また明後日、会社で」
「はい」
「ちゃんと鍵閉めろよ」
「……はい」
「……」
「……」
なんとなく、互いに見つめ合う。
名残惜しくて離れがたいとか、ほんとどんだけだよ。
まだ掛けるべき言葉があるんじゃないかと思案していた時、水森は急に身を翻した。
「ちょっとだけ、待っててください」
「え」
俺の返事も待たず、彼女は部屋の扉を開ける。
そして奥へと消えて行った。
訳もわからず待っていれば、カシャン、と鈍い音が部屋の奥から聞こえてくる。それは、どこかで一度は聞いたことがある無機質な音だ。
何の音だったかと首を捻っていたら、水森は小走りで玄関先へと戻ってきた。腕に、何かを抱えながら。
その何かに視線を落とせば、2匹の小動物が彼女の腕に抱えられている。茶色い毛並みで覆われた、耳がペタンとしな垂れているウサギだった。
そして傍らには、白と黒の毛が入り混じった謎の生き物。
長い毛並みで覆われていて、顔がどこにあって尻尾がどこなのかもわからない。
わからないが、確実にウサギではない。
「……モップ?」
「モップじゃないです。ウサギのウサ子と、モルモットのモル男です」
「……そのまんまだな」
「そのまんまです」
ネーミングセンス皆無か。
苦笑しつつウサギを撫でれば、つぶらな瞳を俺に向けたまま、鼻先をすんすんと鳴らし始めた。
俺の手は食いモンじゃないんだけど。
飼い主に似たのか。
モルモットらしい生き物に至っては、どこに目があって口があるのか、全然わからない程のもっさり具合だ。
「ペット、いたんだ」
先程の鈍い金属音は、ゲージを開閉している音だったらしい。
「はい。キリタニさんはペットを飼っていないようなので、黙ってたんですが。折角の機会なので、ご紹介しようかと」
ああ、なるほどな。って思った。
ペットを飼っていない奴にペットの話をされるほど、苦痛なものは無いから。
その辺りの機転や気遣いが咄嗟に、自然とできてしまう。他の女の子には無い、水森だけの長所だ。
「あの」
両腕に収まっている2匹を抱え直して、水森は俺を見上げた。
相変わらずの無表情で。
「これからも、よろしくお願いします」
「うん」
「飽きられないように、頑張ります」
「……」
その言葉の端から、彼女の中にある不安が感じ取れる。
好意を抱いていた男から飽きられて、振られてしまった過去の記憶。
俺を信用していないわけじゃない。
それでも、不安要素は拭えないんだろう。
「……頑張らなくてもいいよ」
「でも」
「関係が変わっても、何かを無理に変える必要ないだろ」
「………」
「今までみたいに仕事の話して、株の話もして。またこうやってご飯、食べに行こ」
「……キリタニさん」
「俺達は『ご飯仲間』、だろ」
「……はい」
花びらが舞うように、水森はふわりと微笑んだ。
ご飯を食べてる時の笑みとはまた違う、きっと本来の素の笑顔。
……ここで全開の笑顔とか、ほんと反則だ。
コートのポケットに手を突っ込んだまま、身を屈める。彼女の吐息を唇で感じながら、そっと熱を落とした。
すぐに顔を離せば、無表情のまま赤面してる水森の姿がある。
違和感がありすぎて、なんか笑えた。
「ふ、不意打ちはズルいと思います」
「そっちもな」
「え?」
「そろそろ帰る」
「え、あ、はい。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
ゆっくりと扉が閉まる。
施錠する音を確認してから、俺もその場から歩き出した。
頬を撫でる夜風はひやりと冷たくて、でも心は温かい。
スマホを取り出して時間を確認すれば、もう22時を回っていた。
水森といると時間が経つのが早い。
自宅から着信があった事にすら気付かなかった。
車に戻ってから自宅に電話を掛け直そうとして、けれど突然、ライン音が響く。
その相手先の名前を確認して、つい口元が緩んでしまった。律儀すぎる。
彼女らしいシンプルな文面に苦笑しながら、俺もシンプルな一言を打ち込んで、送信ボタンを押した。
(本編完結)