#05
「豊さん。こんばんは」
「あ、いらっしゃい。さやかちゃ……あれ?」
彼女の挨拶に振り向いた男性が一人。カウンターで出迎えてくれた店の主人は、予想していた人物像よりもずっと若い男の人だった。
そして彼の背後では、女の人が背を向けたまま事務作業をしている。
男性の薬指に光るのは、シンプルな指輪。
夫婦で経営している店のようだ。
この店の常連客でもある水森と彼らは、既に周知の仲らしい。名前で呼び合うほど親しいのだろう。
その主人は俺の姿を見るなり、目をぱちくりとさせた。
「大変だ。さやかちゃんが男を連れてきた」
「なんだと。まじか」
彼の一言に即反応した女の人が、くるんと体を半回転させて振り向いた。
俺達を交互に見て、軽く口笛を鳴らす。
「しかも男前じゃん」
「私から誘いました」
「やるね、さやかちゃん」
「たまにはやる女です」
「そうそう。今の時代、女も積極的でないとね」
「同感です」
「……」
なんとなく入り込めない空気の中、女同士の淡々とした会話が続く。
「席、結構空いてるよ。どこでもいいよ」
「ありがとうございます。キリタニさん、どこがいいですか?」
「ああ、うん。どこでもいいけど」
「じゃあ、向こうにしましょう」
1人でさくさく決めていく水森に苦笑しながら、彼女の後をついていく。初めて出会った昨日と今日とでは、彼女の印象はだいぶ良い方向に変わってしまった。
可愛い見た目とは裏腹に、かなり性格がサバサバしてる。変に媚びたりしないし、あっさりしていて付き合いやすい子だ。あくまでも俺の場合だが。
そして彼女が向かった先は、2人掛けの席。
そこは客が入って来ても、入口からでは俺達の姿が見えない、死角にあたる場所。
店内の配置を知り尽くしている水森だからこそわかる特等席に、俺達は座った。
「頼むもの決めようか。水森、何か先に、」
ぴんぽん。
俺が言い終わる前に、水森が店内の呼び出しチャイムを押した。メニュー板も見ずに。
「……」
何事かと固まった俺をよそに、例の女の人が、メモを片手に飛んでくる。
「はいはーい。ご注文はお決まりですか? なんて、さやかちゃんの場合、もう決まってるだろうけど」
「はい。チキンボロネーズ6つお願いします」
「はーい6つねー」
「………」
……6つ?
「あと、チューハイです」
「りょうかーい。もう調理入ってるから待っててね~」
颯爽と走り去る女性を見送ってから、俺は彼女に話しかけた。
「水森」
「はい」
「チキンボロネーズ、6つって」
「ここのチキンボロネーズが激うまなのです。是非キリタニさんにも食べて頂きたいのです」
「うん、それはいいんだけど」
「あ。キリタニさんの飲み物、注文忘れてました。何がいいですか」
「ウーロンで」
じゃない。違う。そうじゃなくて。
6つって何だ。
「計算おかしいだろ」
「おかしくないです」
「いやおかしい。今この場に、俺と水森しかいないだろ」
俺の主張にも、彼女は表情を変えない。
……本当に笑わないな、この子。
「えっと。キリタニさんの分が1つで、私が5つです」
幻聴かと思った。
「……5つも食べるのか」
「8つは余裕です」
「……すごいな」
その小さい体のどこに、そんな量が入り切るほどの余裕があるのか。
胃がブラックホールなのか。
「私の胃はきっとブラックホールなんです」
被った。
「できたよーん」
能天気な声が降ってきたと同時に、3つ分の皿が運ばれてきた。さすがに6つ同時に運ぶことはできないようで、後で追加で持ってきてくれるようだ。
テーブルの上に並べられたチキンボロネーズは、じゅわじゅわと熱い音を弾かせている。
香ばしい匂いを漂わせて、空腹感を誘う。
「へえ。見た目からして美味そうだな」
「とっても美味しいです。キリタニさんもきっと気に入ります。お先にどうぞ」
「じゃあ、頂きます」
促されて、フォークで切り分けたそれを口へと運ぶ。サク、と歯応えのいい感触の後に、肉の旨味が酸味と共に広がっていく。
「あ、美味い」
「ですよね」
「ミートソースの酸味が効いていて、食欲進む味だな。外側がサクサクしてて、歯応えもいい」
「このサクサク感と、分厚いお肉のジューシー加減が楽しめるのも、絶賛する要素のひとつです」
「うん、わかる。本当に美味い。水森ほどじゃないけど、これなら俺も2皿はいけそう」
「私の分、ひとつあげますよ」
「いいの?」
「私はこの後、チーズスパゲティ3つ頼むので十分です」
「……」
……3つも。
「はーいお待たせ~。追加の3つ分置いとくよ~」
「ありがとうございます。それと、ウーロン1つお願いします。あとでチースパ3つ頼む予定です」
「はーいその時はまた呼んでね~」
既に慣れているといった感じで、彼女は厨房へと戻っていく。
いや、実際慣れているんだろう。
普段からこんなに暴食漢なのか。すげーな。
苦笑しつつ顔を上げたら、既にチキンボロネーズを一口摘んでいる水森の姿があった。
その表情はすっかり和らいでいる。
昨日の、おにぎりとお茶で満腹感を得た時に見せた顔と同じ顔。あの時垣間見た幸せそうな表情と、今、目の前にある表情が一致する。
旨い料理に舌鼓を打つ彼女の口角が柔らかく緩んでいて、また新たな一面を発見した。
……食べてる時は、笑うんだな。
まあどんなに不機嫌なヤツでも、美味しいもの食べてる時は笑顔だしな。
そう思いつつ、その小さな笑顔が拝見出来た事に得した気分を味わう。
また、彼女を食事に誘いたい。
そう思いながら、二口目を口の中に放り込んだ。