#03



 もう会うことは無いだろう。
 そう思っていた彼女に、再会した。
 空腹で倒れていた彼女を助けた、その翌日の朝に。



 出社前。
 自社ビルのエントランス。
 奥にあるエレベーター前に、彼女はひとりで立っていた。
 腕にはピンクのショルダーバックと、昨日と同じトレンチコートを抱えている。
 着ている制服は、アジュールで指定されているものだった。


「……まじか」


 昨日の、彼女の格好が脳裏に浮かぶ。
 コートの襟元から覗く制服は、うちの会社のものだったのか。全く気付かなかった。
 そもそも女性社員の制服デザインなんて、どこの会社も似たり寄ったりなものばかりだ。まさか同じ会社の人間だとは夢にも思わない。

 どうする、と思考を急かす。
 また偶然会ったとしても関わらない、そう決めていたけれど、同じ会社の人間ならそうもいかない。
 何より「また会えるなら会ってみたい」、密かに抱いてしまった彼女への興味が、頑なだった意思を揺らぎ始めていた。

 女とは深く関わりたくない。
 そう思っていたはずなのに。

 立ち尽くしたままの俺の横を、同じように出社してきた社員が通り過ぎていく。
 なのに俺の足は一歩も動かない。
 小さな後ろ姿から、目が逸らせなかった。

 けれど彼女も鈍くはないようで、自分に注がれる視線に感付いたらしく、その視線の矛先へと顔を向ける。
 当然、その矛先は俺だ。

 ぱちり。
 彼女と目が合う。
 大きな瞳がぱちぱちと、瞬きを繰り返す。
 あっ、と開いた口がそう発するのが、遠くからでもわかった。

 ポン。到着を知らせるエレベーター音が、その場に静かに鳴り響く。
 当然のように開かれた扉に、けれど彼女は乗り移らなかった。
 くるりと方向転換して、艶やかな茶髪をなびかせながら俺の方へと駆け寄ってくる。
 顔は昨日と同様、無表情に近い。

 そういえば、笑った顔を見ていない、気がする。


「キリタニさん。おはようございます」

「おはようございます」

「同じ会社の方だったんですね」

「そうみたいですね」

「びっくりです。こんな偶然ってあるんですね」

「俺もびっくりしてます」

「あの。途中までご一緒してもいいですか」

「いいですよ」


 断る理由など無い。
 俺は素直に頷いた。
 敬語に直したのは、彼女が同じ会社で働く先輩かもしれないからだ。

 共に並んで歩き出す。
 既に別の階へと稼動していたエレベーターの到着を待つ間、改めて自己紹介を交わした。



 彼女──
 水森さやかは、俺と同じ時期に入社した子だった。
 つまり同期。
 先輩ではなかったようだ。

 アジュールには3つの部門があり、俺は営業部門に所属している。彼女はマーケティング部門で、役割的には近い位置にいる。マーケの人間と情報交換する機会も多い。
 とは言え、俺も彼女もまだ駆け出しだ。
 大掛かりな案件を任せられる機会はほとんど無く、企画課や開発課と組んだことは一度もない。更に言えばマーケは部署が多く、役員数も営業に比べたら遥かに多い。
 つまり、彼女と接する機会は現時点ではほぼ無い、ということになる。
 社員数がそこそこ多い会社で彼女の存在を知らなかったのは、ある意味、仕方ないとも言えた。

 昨日、あの時間帯に住宅地を歩いていたのも、彼女がマーケの人間だと知れば納得がいく。
 俺は営業職で外回りの仕事が大半だが、マーケは基本、デスクワーク型だ。
 けれど常に変動していく市場のリサーチやログ解析、市場の構造やターゲットをより正確に描く為に、外へ出向き直接足を動かすことも多い。
 彼女があの場にいたのも、そういう理由なのだろう。

 ……空腹で倒れていた件については、目を瞑る。


「昨日は、本当にありがとうございました」


 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。


「お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。すみません」

「おにぎりひとつで足りたの?」

「足りませんでした。あの後、牛カルビ特盛り弁当を3つ食べました」

「……3つも」

「はい」

「すごい食べるんだね」

「私にとっては普通なんですが」


 真顔で言う。
 たまに発言がおかしい。
 何だろう、妙に面白い子だ。

 到着したエレベーターに乗り込んで、3階と4階のボタンを同時に押す。
 俺と彼女以外、エレベーターに同乗した人間は誰もいなかった。


「……あのさ。昨日の事なんだけど」

「はい」

「ご飯でも一緒に、って言ってたヤツ。今日、どうかな」


 自然体を装って誘ってはみたものの、実のところ、俺は緊張していた。

 昔から女が苦手だった。
 どこがどう苦手なのかと聞かれても、うまく言えない。強いて言うなら、会話が噛み合わない、執着が激しい、面倒くさい。そんなところだ。
 だから必要以上に話しかける事もしないし、プライベートで関わる事もしない。食事に誘うなんてもってのほか。
 その俺が、まさかこうして異性を誘う日が来るとは思わなかった。自分の発言に、自分が一番驚いている。

 彼女に対して苦手意識は全く抱かなかった。

 昨日交わした会話の中で、彼女の機転の早さと聡明さを目の当たりにした。
 その時胸に抱いたのは、嫌悪感ではなく好奇心。
 女の内面にある苦手な部分、それを、彼女からは何ひとつ感じなかった。
 そればかりか、もっと話してみたい、仲良くなってみたいという気持ちが俺を突き動かしている。

 それに、マーケの人間と情報を共有できるチャンスでもあるから。
 ……まあ、これは完全に言い訳だな。


「もちろん大丈夫です。是非、お礼させてください」

「お礼、とかじゃなくてさ。ただ一緒にご飯を食べに行こうって話」

「なるほど。ご飯仲間ですね」

「え? あ、うん。それでいいけど」


 お礼とか、かしこまって欲しくない。
 お礼されて当然だとも思っていない。


「あ。着いたので、わたし降りますね」

「うん。仕事終わったら1階で待ってる」

「はい。17時ですね。楽しみにしてます」


 3階でエレベーターを降りた彼女は、扉が閉まる寸前、また俺に向かって頭を下げた。
 この光景は何度目か。
 その礼儀正しい姿に、更に好感を覚えた。

 ……マーケ部門の水森さやか、か。



 大食いで、ちょっと天然入っていて。
 けど幼い見た目とは裏腹に賢い。
 なぜかいつも無表情の、礼儀正しい女の子。

 ……変わった子だな。
 普段からあんな感じなんだろうか。



 彼女の事をもっと知ってみたいと思った。
 結局その日は仕事中も、水森と名乗ったあの子の存在が気になってしょうがなかった。


BackNoveltopNext




水森さんと桐谷くん|本編3話
転載先:小説家になろう
柚木結衣 ( HP / 拍手 )



inserted by FC2 system