#14
「ばばんっばばんばんばん! あびばびばびば!」
「………」
「ばばんっばばんばんばん! はぁ~あびばびば!」
「………」
「い~い湯だっな! あははん!」
「……………………、奈々」
「なあに?」
「もう少し歌のチョイスどうにかならなかったのか」
ちゃぷん、と波が揺れる。
湯船に浸かったまま、卯月さんが不満を漏らした。
「お風呂で歌う曲といったら、やっぱりコレじゃないですか」
「ドリフじゃねえか」
そんな鋭い突っ込みも、私は鼻唄で回避する。
狭いバスタブの中、私は卯月さんに背を向ける形で彼の両足の間に収まっている。ふわふわの泡に包まれながら、ご機嫌よろしく入浴タイムを満喫中。
お風呂は大好き。
体温並みの湯加減が気持ちいいし、疲れも取れるし、その日の気分に合わせて入浴剤を変えられるのも、楽しみのひとつ。最高の癒し。
しかも今日は、大好きな彼氏も一緒なんだから、気分も舞い上がってしまうというものだ。
最近の入浴剤は、バスソルトも含めてバラエティーに富んでいる。美肌成分がたっぷり配合されているバブルバスなんて、入浴の上で絶対に欠かせない必需品だ。
ただ、今日は卯月さんのマンションにお泊まりで、ここは卯月さんの浴室だから、無香料のものを選んで持ってきた。
そして今日は、もうひとつ持参したものがある。
「あ、卯月さん。あのね、珍しいアヒル見つけたから買っちゃった」
「またかよ。お前な、ここにアヒル何匹浮いてると思ってんだよ。もう風呂じゃなくてアヒルの池みたいになってんだけど」
今日の卯月さんは文句ばっかりだなあと思いつつ、アヒルのくちばしをツンツンつつく。バスタブに浮かぶアヒルの親子(6匹)は、ぶくぶくな泡の障害をものともせず、優雅に波に揺られてる。
バスタイムを楽しむ上で、アヒルちゃんも欠かせないアイテムのひとつだ。
「今日買ってきたアヒルちゃんは、この子達とは違うんですよ。卯月さんもきっと気に入ります」
バスタブの中に隠してたアヒルを、天に掲げてお披露目する。
「超レアヒルちゃん! うんち色!!」
「余計いやだわ」
卯月さんの手が、べしっとレアヒルちゃんをはたく。ぱしゃんと虚しくバスタブの中に落ちた。
「ああっ、隊長が……」
「2度と持ってくんな」
「ええ……」
正直喜んでもらえるとは思ってなかったけど、こっぴどく振られるとも思っていなかった。
黄色以外のアヒルちゃんは貴重なのに。
かくも彼から忌み嫌われたレアヒルちゃんは、愛らしい尻尾を水面に浮かべたまま、ぷっかりと湯に浸かっている。
「……ほっそい腕だな」
レアヒルちゃんを拾おうとした腕が止まる。
手首を捕まれて、引き寄せられた。
卯月さんの方を振り向きたくても、狭いバスタブの中では身動きが取れない。首を動かして、後ろの彼を見上げる。
「そうかな?」
「折れそう」
「折れないよー」
ふふっと笑う。
私なら折られる前に、相手の腕を先に折っちゃうかもしれない。
格闘技なら得意です。
「……ふうん」
なんとなく面白くなさそうな卯月さん。
あれ。なんか受け答え間違えたかな? なんて思っていたら、彼の唇が手首の内側に触れた。
ちゅ、と音を立てられて、どきりとする。
「う、卯月さん」
「ん」
「さすがに、そこに跡はつけないでね?」
下手したらこの人、歯形までつけようとするから怖いです。まるで猛犬。もしくは狂犬。
「どこならいいんだよ」
「み、見えないところなら」
なんて答えてみたけど、あまり意味のない主張に思える。「見えるところはダメ」って何度か訴えているけど、何度も裏切られているから。
卯月さんの噛み癖(?)、何とかしなきゃだなあ。なんて決意を固める私の背後で、彼は何やら考え事をしている様子。私の手首を解放して、お腹に腕を回してきた。
「奈々」
「なに?」
「ちょっと話、あるんだけど」
え。
そんな、改まって話って何だろう。
突然不安に駆られて、緊張が走る。
「わ、別れたくないです」
「あほか。違うわ」
「よ、よよよよかった」
「一緒に住むか」
「ウホッ!?」
「ゴリラか」
ぶはっ、と卯月さんが笑う。
ビックリしすぎて、ゴリラ出ちゃった。
「え! え! 同棲ってこと!?」
「そゆこと。いつも互いのマンションに行き来してるから面倒だろ」
「え、面倒なんて思ったことないよ? え、でも、ええええどうしよう嬉しい」
「そんなに嬉しい?」
意外そうな反応されたけど、私にとってはすごいことだ。
基本、卯月さんと会うのは週末。
どちらかの部屋で過ごして、日曜日には帰る。
平日に会うことも多いけど、卯月さんの会社が忙しい時期は彼にもなかなか会えなくて、1週間以上、日が開くことだってある。
多忙で会えない日が続いても、卯月さんはLINEや電話で連絡をくれるから、彼との繋がりが途切れることはない。
それでも一緒にいられない寂しさは、やっぱり辛いなって思うこともあった。
でも同棲なら、もう寂しい思いはしなくてもいい。
「おかえり」とか、「いってらっしゃい」とか、何気ない挨拶が毎日言える。毎日一緒にご飯を食べられる。
おはようからおやすみまで一緒って、今までの生活では考えられなかったことだ。
「するするする! したい!!」
卯月さんの提案を嬉々として受け入れる私。
背後から、小さく笑う気配を感じた。
「じゃあそのうち、奈々の両親に会わないとな」
「へ?」
「奈々、まだ学生だしな。親から承諾貰った方がいいと思う」
「あ、そっか」
いつも真面目な卯月さんは、私より一歩先のことを考えて行動してくれる。
そうやって、私に安心をくれる頼もしい人。大人の人。
「許してもらえるかな」
「さあな。奈々の両親がどんな人達か、俺は知らないし。まあ今が無理でも、大学卒業後でもいいし」
「な、なんか、自分の両親に彼氏紹介するの、すごく照れるね」
「な。俺も緊張するわ」
「へへ」
卯月さんの言葉に頬が緩んでしまう。
彼と付き合い始めて、まだ日は浅い。
でも出会ってから既に、8ヶ月は経っている。
ホテルからの帰宅途中で偶然目にして、その綺麗な顔立ちに一目で惹かれた。それからは一方的にアタックしまくる毎日。
当初は恋愛感情なんて全くなくて、ただこの人に抱かれたいっていう、なんとも不純な動機だったけれど。
あの出会いが今、ここに繋がっている。
そう考えると、人の縁ってすごく不思議で、素敵だなあと思えてくる。
あの日、卯月さんに出会っていなければ、私はこの感情をずっと知らないままだったんだ。
「卯月さん」
「ん?」
「いつも、色んなこと沢山考えてくれて、色々してくれてありがとう。大好きです」
胸に溢れる万感の想いを口にする。
「俺が勝手にやってることだし。気にすんな」
「うん」
「あと俺も好きだから」
「私が好きって言ったら必ず好きって返事してくれる卯月さん尊い」
「言うなハズい」
あの日、あなたに会えてよかった。
本当に、そう思うよ。
・・・
「ところで私と同棲するとなると、もれなくアヒルの隊長ご一行もついてきますが」
「捨てろ」
「えっ」