#13
世界で一番、嫌いな言葉がある。
「奈々」
「なに?」
木曜日の夜。
卯月さんのお部屋。
2人掛けソファーの上で、私はのんびりくつろぎタイム。
クッションを両腕に抱えながら、ニコニコと上機嫌。
何故なら明日が金曜日だからだ。
私達は週末になると、どちらかの部屋で一緒に過ごすことが多い。明日は、私が卯月さんのお部屋に泊まりに行く予定の日だ。
早く明日にならないかな、なんて、内心小躍りしてる私を横目で見ながら、卯月さんはネクタイを緩めて―――『ソレ』を、言い放った。
「言い忘れてた。明日、会社の飲み会あるから」
「………」
………キタコレ。飲み会。
「そ……そか。いいね飲み会」
「まあ、たまには付き合わねーとな」
「そ、そそそだね。親睦は、だ、ダイジデス。」
ショックのあまり片言になってしまった。
私はまだ学生で、卯月さんは社会人。
上司や同僚のお付き合いもしていかなきゃいけなくて、私だけを常に優先するわけにはいかない。
私だってゼミやサークル仲間との飲み会があったりするし、卯月さんばかりを優先するわけにもいかない。
学校や職場との人付き合いも、大事なこと。
それはわかってる。
わかってる、んだけど……ね。
「ち、ちなみに、その飲み会には何人来るのかなー?」
「さあ。8人くらいだったかな」
「は、はちにんも」
……その8人の中に、女もいるんですかダーリン。
いますよね。
8人もいらっしゃるならね。
卯月さんくらいのハイスペック男子を、女性社員が放っておかないですよね。
私だったら間違いなく、卯月さんに狙いを定めてお持ち帰りするもん。
―――……モヤモヤする。
本当は、女がいるかもしれない飲み会になんか、行ってほしくない。
だからって「行かないで」なんて言える勇気もなく、言う権利も勿論ない。
こういう時、学生と社会人の壁が歯痒く感じてしまう。
それに、そんな我侭な自分を見せるのも嫌だ。
「そ、そっか。うんわかった。き、気をつけるんダヨ。」
だから大人しく、聞き分けのいい子のフリをする。
でも多分、いや間違いなく。
今のわたし、笑顔引きつってる自信ある。
明らかに挙動不審な私を、じっと見つめる卯月さん。
そして突然、ぶはっと盛大に吹き出した。
嫉妬の渦中に置かれている私の心情なんて、彼にはきっとバレバレのはず。
飲み会の度に嫉妬する女なんて、見苦しいよね。
ますます気落ちしてしまう。
「一次会で帰ってくるから」
肩を落としている私を励ますように、卯月さんの手が私の頭をぽんぽんする。
たったそれだけで、沈んでいた心が浮上してしまうのだから単純だ。
たとえ子供扱いされても、それが卯月さんなら嬉しいの。
それでも不安要素は拭えない。
たとえば、2人で街を歩いている時。
通りすがりの女が彼に見惚れていたとしても、別段何とも思わない。
むしろ嬉しい。
こんな綺麗な人が私の彼氏です! 見て見て! って、周りに自慢したくなるほど。
でも、その相手の女が卯月さんの会社の人なら話は別だ。
だって、見ず知らずの人じゃないから。
同じ会社で働く社員同士、卯月さんと親しい仲のはずだから。
まだ学生の私には踏み込めない、大人社会の領域。
その枠にいる女の人達は、卯月さんと同じ目線、対等の立場にいる人達だ。信頼関係だって、それなりに厚い。
だから、どうしても比べてしまう。
それに女性社員達が必ずしも彼を、ただの仕事仲間としか見ていない保証なんて、どこにもなくて。
やっぱり、不安だよ。
「……奈々」
卯月さんが隣に座る。
逞しい手が、しょぼくれている私の頭を引き寄せた。
そして、髪をくしゃくしゃに乱される。
苦笑交じりの声が、頭上から落ちた。
「余計な心配すんな」
「………うん」
「他の女にフラフラするわけないだろ」
「………うん」
わかってる。
卯月さんは、そういう人。
真っ直ぐな人。
見境無く女に手を出したり、目移りするような人じゃない。
ちゃんと想われている事もわかってる。
「……ひとりで勝手に不安がって、ごめんなさい」
卯月さんを信用していないわけじゃないんだよ。
遠まわしに、そう伝えてみる。
「わかってる。好きだから不安になるんだろ。俺もそうだから」
「……っ」
そこで、そんな甘い事を言わないでほしい。
嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
嫉妬で不安になるのは私だけじゃないんだと教えられて、胸に渦巻く黒い感情が少しずつ薄れていく。
卯月さんはすごいや。
私の扱いがうまうぎる。
「元気出たか」
「でた!」
「よし」
威勢のいい返事に、彼も柔らかく微笑んだ。
好きだから嫉妬するし、不安になる。
きっとこれからも、"飲み会"の単語を聞くたびに複雑な気分になるんだろうけど、嫉妬に駆られて彼を責めることはしたくない。
他を見向きする余裕がないくらい、私に夢中になってほしい。
中身も含めて、自分磨き、頑張ろう。
「あ、そうだ」
心新たに決意を固めている私の隣で、彼が声を上げる。
何かを思い出したみたい。
「話の途中だった。明日、俺帰り遅いからさ、先に寝ててもいいから」
「うん」
彼の言い分に、素直に頷く。
「あ、でも私も、明日、ちょっと帰りが遅くなりそうなの」
「ふうん。サークル?」
「ううん、飲み会」
「……………。」
しばしの沈黙の後。
「あ"?」
めっっっっちゃ不機嫌な声が返ってきた。
「お前も飲み会かよ」
「うん」
「俺聞いてないんだけど」
「今言ったよ」
「ちなみに何人」
「4人」
「男もいんの? まさか合コンじゃねえよな」
しかめっ面のまま、淡々と質問攻めされる。
「違うよ。4人だけの女子会」
「なんで言わねえの」
「え、だって」
本当に、女子だけの集まりだし。
「女子会でも飲み会は飲み会だ」
「お、男の子なんていないよ!?」
「店の中に、誰かしら男の客がいるだろ」
「え、え……そっち?」
そこまでは考えてなかったよ。
「そ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私だって、もうフラフラしないもん」
「わかってる。奈々のことは信じてるよ。でも周りの野郎はそうじゃない。奈々を性的な目で見る奴ばっかだから気が気でない」
「………え、えーと」
思わず口ごもる。
うまく反論できない。
確かに昔から、そんな目で見られることは多かったから。
痴漢の経験も、1度や2度じゃない。
友人曰く、私は「押せばヤレそうな雰囲気」を持ってるらしい。
自分ではよくわからない。
「はあ……ったく、しょうがねえな]
苛立ったまま頭をがしがしと掻く卯月さんは、仏頂面のまま、私の肩を強引に引き寄せた。
彼の前髪が、ふわりと頬を掠める。
首筋に顔を埋めて、吐息が肌に触れた。
そして、
「ぎゃ!」
首を噛まれた。
遠慮なしに、がぶっとヤられた。
突如走った痛みに、悲鳴を上げる私。
「な、何? 何で?」
「跡つけた。これ、男が見たら萎えるだろうな」
"これ"を指先でなぞりながら、卯月さんは満足そうに微笑んだ。
手鏡を取り出して傾けてみれば、首筋にくっきりと、歯型のマークが映ってる。
やり方が猟奇的すぎるよ……。
キスマークならともかく、歯型って。
「かっちょ悪い……」
「彼氏につけられたって言えよ」
「くまちゃんに噛まれたって言う」
「…………ああ、それいいな。俺がいない時は、くまにボディガードやらせよう。奈々に近づく変な虫を追い払えるように、俺がくまに調教してやる」
「やめてあげて」
いらん闘志を燃やし始めた卯月さんに、私は苦笑するしかない。
『飲み会』の言葉が嫌い。
それはどうやら、卯月さんも同じだったみたい。
でも嫉妬の具合は、私より彼の方が露骨。
嫉妬の深さは、想いの深さ。
それすらも愛しいと感じてしまうなんて、私は重症なのかもしれないね。