#01



「今日、飲みに行ける奴は挙手!」

 専務の誘いはいつだって突然だ。
 終業時間まであと少しと迫った頃、突発的に開かれる飲み会の誘いは、私達社員にとって既に聞き慣れてしまったものだ。またか、と呆れ果てる従業員達は、しかし満更でもないようで、表情を綻ばせながら彼の呼び掛けに反応する。

「いっすねー! 俺付き合いますよ!」
「俺も俺も!」
「専務の奢りなら行きます!」

 途端に場が賑やかになる。
 今日は華の金曜日。更に給料日明けとくれば、疲れ果てていた気分も財布の紐も、緩んでしまうというもの。飲み会という名の親睦会を開くには絶好の日だ。
 勝手に盛り上がりを見せる男性社員とは逆に、女子社員達は「どうする?」と顔を寄せ合いながら、互いの顔色を伺っている。

「みんなが行くなら、私も行こうかな」
「行きたいけど~……今日は彼氏とデートがあるから私は無理かなー」
「ッチ。リア充め」
「私は行く! 専務がいるから♪」

 慎重派に見える彼女らも、彼からの誘いとなれば、断るにも抵抗があるのだろう。既婚者でもあり、現在2児の父親でもある専務―――芹澤さんは、40代後半とは思えないほど若々しく、綺麗な顔立ちをしている。
 優しそうな見た目とは裏腹に豪胆な性格で、男気のある口調や態度は男性社員のみならず、女性社員からも人気が高い。
 現に彼女達も頬を紅潮させながら、なんやかんやと飲みの話題に参加している。

「ったく、お前ら暇人かよ」

 子供のようにはしゃぐ社員の姿を前に、当の発案者は苦笑しながら周囲をぐるりと見渡す。
 その目線がふと、私に止まった。

 あ、まずい。
 そう思った時には既に遅く。

「お、天使。お前も来るだろ?」

 そう尋ねられて、肝を冷やす。



 ―――専務は知らない。この場において私だけ、発言力がないことを。



 良くも悪くも人のいい彼は、その親しみやすさから部下からの信頼も厚く、上の人間にも顔の通る人物として有名だ。ただ、空気を読まないことでも有名で、いささか過保護な部分が手に余る。
 私に向けられたこの誘いも、特に深い意図はない。彼にとっては、輪に参加していない部下に対して飲みの誘いを口にしただけ、なのだろうけど。

 周りの反応は、違った。

 ―――え、あいつも来んの?
 ―――や、無理だろ。場が重くなるわ。
 ―――専務も空気読めよ。来るわけねえじゃん。
 ―――つか、来んな(笑)。

 冷ややかな視線が注がれて身がすくむ。
 言葉なき声は鋭利な刃となって、容赦なく私に突き刺さる。

 ……だから嫌だったのに。



 定期的に開催される飲み会の話題が出た時点で、私はいつも席を立つ。この場において存在意義のない私がオフィスから逃げたところで、誰も私に気づかないし、気付いていたとしても呼び止めたりなんてしない。そしてロビーなり屋上なり、人気の少ない場所に出向いて暇を潰している。
 22歳にもなって情けないし滑稽だとも思うけど、この冷えた空気に晒されるくらいなら、逃げに徹した方がマシだ。
 今日だって本当は、タイミングを見計らってこの場から離れるはずだった。手を止めて、腰を上げようとしたところで呼び止められた。完全に逃げ遅れた。

「天使、いっつも飲み会に来ないもんなー。今日は来いよ? 俺はお前とも親睦を深めたいんだぞ?」

 なんて、屈託なく笑われる。
 その言葉に裏がないのは知ってる。
 いい人なんだ、本当に。わかってるけど……ありがた迷惑な話だ。

「そうだよー。天使さんもおいでよ!」

 男性社員の一人が気をつかって、私にそう呼び掛ける。無理やり作り上げた笑顔は明らかに、

 ―――頼むから断ってくれ。

 そう言いたげな表情が見て取れる。
 私に対する嫌悪が、まるで隠しきれていない。

「……あの、ごめんなさい。今日は予定があって……」

 息が詰まりそうな空気の中、絞り出すように声を上げる。やっぱり空気を読めない専務は、えっ、と驚いたような顔を見せた。

「まじか。なんだなんだ、男か!?」
「い、いえ……違います」

 焦って首を横に振る。
 女子達が一斉に、専務に非難の目を向けた。

「やだ専務。セクハラですよそれ」
「え! これもセクハラなのか!」

 驚愕の声を上げる芹澤さんに、周りからどっと笑いが起こる。さりげなく話題の矛先が逸れたことに、内心ほっとする。これ以上注目されるのは勘弁願いたい。
 逃げるタイミングを失って、どうしようかと思案を巡らす私の背後で、控えめな足音が聞こえてきた。

 大理石調のフロアタイルの上。
 コツコツ床を鳴らす音が、オフィスの入口前で止まる。
 その主が誰か、なんて振り向かなくてもわかってしまう。
 心がふと、軽くなった気がした。

「失礼します。専務、戻りました」
「おー速水。お疲れさん」

 芹澤さんが緩く片手を挙げて、速水と呼ばれた男性社員が専務の席まで歩いていく。その場にいた女性社員の多くが、彼の後ろ姿に釘付けになっていた。
 無理もないと思う。
 全体的にワックスを緩く揉み込んだ、メンズマッシュのヘアスタイルは、派手すぎず堅苦しさもない、ビジネスマン向けの髪型。女から見ても好感度が高い。
 サイドにふわりと流した前髪から覗く、綺麗な切れ長の瞳に、筋の通った鼻。社交的で交遊関係も広く、仕事も手堅くそつがない。上層部の人間からも期待されている逸材の1人。
 そんな彼の存在を、周りの女性が放っておくはずがなく。

「速水くん、聞いた? 今日、例の飲み会なんだって」

 女性社員の1人―――三樹さんが、頬を染めながら彼に尋ねる。例の、というのは、専務の気分次第で開かれる飲み会のことを指していて、勿論、彼もその点に関しては理解している。

「速水参加できるかー?」

 専務の一声に、彼は困ったように微笑んだ。

「すみません、既に先約があって……」
「なにっ! お前もかい!」
「……『お前も』?」

 彼が、何の事かと首を傾げる。
 芹澤さんが事情を説明しようとした時、ひとりの男性社員が2人の間に割って入った。

「あ、専務! 早いとこ飲みに行く場所決めましょうよ。週末前だからどこも混むだろうし、事前に予約しておいた方がいいっすよ」

 その不自然な介入の仕方は、私に関わる話題を無理やり避けようとした意思が垣間見える。そのお陰か会話の流れが変わり、周りも賛同し始めた。
 余程、私を蚊帳の外に置きたいらしい。

「てか速水、まじで来れんの? 最近、飲みに参加してなくない? まさか、女か?」
「ついに速水に恋人の影が!?」

 その一言に、ざわりと室内が騒ぎ出す。

 『専務による、専務の為の飲み会』は、必ずしも全員が参加できる訳じゃない。私は毎回非参加だし、速水くんも、最初の頃はよく参加していたけれど、最近は全然だ。
 更に彼には浮いた話も一切なかったから、先約の相手が恋人じゃないかと、そう疑う輩が出ても不思議じゃない。
 期待と悲観の眼差しを一心に受ける速水くんは、けれど「違う違う」と軽く手を振った。

「残念ながら、相手は男です(笑)。 高校の同級との飲みだよ。でも……そうだね。約束の時間までは、こっちに顔出すよ」
「おっしゃ!」

 『行けない』から一転、『行く』に変更した速水くんの返事に、わっと場が盛り上がる。誰にでも分け隔てなく接することができる彼は、誰からも好かれる素質を持っている人だ。彼が居るのと居ないとでは、その場の空気が全然違う。
 私とはまるで対極にいるような人。
 いや、私なんかと比べるなんて、それこそおこがましい考えだ。

 私の存在なんてそっちのけで、話は否応なく進んでいく。
 この輪の中に私の入る隙はなく、居場所なんてどこにもない。

 誰も私のことなんて気にも止めない。
 こんなことは初めてじゃない。
 もう慣れた。
 もう、わかってた。

 キーボードを叩く手を止めて、静かに席を立つ。
 誰にも気づかれないようにオフィスを出て、女子トイレへ向かった。

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好きになってくれた人を好きになったら、罠でした。|本編1話
転載先:ムーンライトノベルズ
柚木結衣 ( HP / 拍手 )



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