#21
「ぶへーっくしょんっ!」
「……おい、おっさんかよ」
鋭い突っ込みに、私は顔をひきつらせながら笑みを返す。盛大なくしゃみに肋骨が悲鳴をあげたけど、声は上げずに我慢した。
激痛をなんとか無言でやり過ごし、早坂の隣に並んで店内を歩く。
あれから1週間。
私はいまだに早坂のマンションに居候の身で、職場復帰も果たしていない。シフトでは明日から、出勤する事になっている。
1週間以上も早坂に仕事を押し付けてしまったからには、発奮興起して挽回したいところ。そう決意表明したら、「力みすぎて再骨折するなよ」と冗談にもならない返しを受けた。
久々の出勤を明日に控えた日曜日。
珍しく早い時間帯に帰宅した早坂と、ショッピングモールで買い物中。目的は勿論、夕飯の食材買い漁り。
早坂の実家が北海道にあるらしく、道産子の早坂ママからジンギスカンが大量に送られてきたのが2日前のこと。
さすがに早坂1人で食べきれる量ではなくて、せっかく私が居るんだから、という理由で、今宵はジンギスカンパーティーを催すことになった。
早坂がカラカラとカートを引き、私は夕飯の食材を物色中。白菜に椎茸、玉ねぎの新鮮具合を見定めながら、ポイポイとかごの中に詰めていく。
なんせ今日のジンギスカンパーティーは、もう1名、大事なゲスト様がいらっしゃるのだ。私達2人分の量では足りないだろう。
「そういえば鈴原、ピーマン嫌いって言ってたわ」
「そうなの? じゃあピーマン入れるのはやめておこうかな。可哀想だし」
「やさしーのな」
「私も嫌いだから、はなから買う予定なかったけどね」
「俺の感動返せよ」
こんな風に、私達の仲は相変わらずだ。
目が合えば漫才コントを繰り返しているような有り様で、誰がどう見ても恋愛を拗らせている男女には思えないだろう。
私ですら忘れそうになる。
1週間前、早坂に告白された日のことを。
「七瀬は、誰にも頼らないよな」
それはあの日、早坂から言われた言葉。
告白云々で揉めた際、私達の会話が微妙に噛み合っていないと早坂は指摘していた。
あの後はすぐ部屋に戻り、私達はテーブルを挟んで向かい合わせに座った。
目の前には本日の夕飯、早坂が買ってきたお弁当(親子丼)と私の作った夕飯(親子丼)が並べられている。
どっちを食べようかという話になった時、「七瀬の作った方が食べたい」と即答した早坂に、つい頬が緩んでしまったのはここだけの話。
私特製の超美味な親子丼は、もうすぐ三ツ星レストランからスカウトがくるんじゃないかと期待してしまう程の素晴らしい出来だった。自画自賛。言うだけタダ。
とろっとろの卵と、絶妙な甘さがマッチした親子丼に舌鼓を打ちながら、早坂の口から告げられる言葉に耳を傾ける。
「誰にも頼らないし、泣き言も言わなければ愚痴も吐かない。甘えたりもしないし、全部ひとりで抱え込もうとする」
「……そう?」
確かに私は、スタッフの前で愚痴を言わないし、弱音も吐かないようにしてる。店舗の責任者でもある上司が、部下の前で不満を垂らすと嫌な空気を生むからだ。スタッフ達にとってマイナスになるようなことは、私はしてはいけない立場にある。
けれど、安易に口に出せない分、早坂には愚痴や不満を垂れ流していたような気がするけれど。主に居酒屋で。
そう伝えれば、早坂は静かに首を振った。
「七瀬が俺に不満を言うのは、本部の事だけだろ。それ以外で聞いたことがない」
「……そう? そんなに私、1人で色々やろうとしてる?」
「してる。頼むから自覚してくれ。見ていて危なっかしいんだよ。今回の事だって、七瀬が周囲の人間にちゃんと頼るなり相談なりしていれば、回避できたはずの被害だっただろ」
「……はい」
確かに。
「七瀬のことだから、自分都合で人に頼るなんて迷惑をかけるだけだって思ってるんだろうけど。実際のところ、誰にも頼らないで一人で突っ走った結果、逆に迷惑かけてる。あと、危機管理も無さすぎ。もう少し意識を持って改善していかないと、次に何かあっても庇えなくなる。自業自得だって突き放されて、誰も助けてくれなくなるぞ」
「……仰る通りです」
なかなか耳の痛いお話だった。
でも全て正論だから文句も言えない。言えるはずがない。
そして、早坂は本来こういう奴だ。人の痛みに寄り添える優しい面があるだけじゃなく、自分にも他人にも厳しい面も持っている。
中途半端な優しさは、その人のためにならないと判断すれば振り飾らないし、間違ってることは間違っていると、はっきり言える人。それが私だろうとスタッフだろうと関係なく、だ。
それは、私には持ち得ない早坂の魅力。
部下に対して強く叱れない、という私の最大の欠点を、ちゃんとカバーしてくれるし指摘してくれる。
だから同期としても、人としても信頼できる。
スタッフの事も、早坂だから安心して任せられるんだ。
「……私より早坂の方が上司向きだよね」
「統率力は七瀬の方が優れてるよ。俺はそこまでリーダーシップを発揮できないから。……で、ここからは俺個人の話になるけど」
「ん? 今までの話は何だったの?」
「今までのは、社会人の立場としての意見」
「なるほどなるほど。それで?」
「もうアイツと2人きりで会わせない。俺が隣で支えるから、少しは頼ってくれ。力になりたいんだよ。あと言い忘れてたけど、付き合えるなら結婚前提で付き合いたいと思ってる。それと2日前に寝込み襲ったごめん。反省は微妙にしてる」
ぶふぉ!! とご飯を噴出した。
10粒くらい口から飛び出したよね。
「おい、顔にご飯かかったんだけど」
「いやいや待って! 今の一言に問題発言がたくさん凝縮されてたんだけど!?」
「色々話したい事はあるけど、長くなるから一番言いたい事だけまとめたらこうなった」
「詰めすぎでしょ!」
盛大に撒き散らしたご飯粒を、ティッシュでくるんでポイする私。早坂は早坂で平然と箸を進めてるし、私達の間に漂う空気は緊張感の欠片もない。
なんでコイツはこんなに余裕そうなの。
「訊きたい事があるなら言え。答えるから」
「上から目線腹立つんだけど。寝込みを襲った詳細を教えてください」
2日前といえば、私が早坂を部屋に泊めた日だ。私がベッドで寝て、早坂がソファーで眠ったあの時。この男は私が寝てる間に、あらぬ事をしてくれたらしい。
人工呼吸云々の前に、私達は既にキス体験済みだったようだ。たった今明かされた衝撃の事実に開いた口が塞がらない。
私は昔から、好きでもない男から触れられるのを極端に嫌う人間だ。
青木さんと付き合う前、友達に誘われて参加した合コンでも、仲良くなった人はいても安易に体に触れさせなかったし、お持ち帰りされようものなら全力で拒否した。
もしかして潔癖性なのかな? って自分を疑った事もあったけど、恋人以外の男に触れられることが生理的に無理なのだから仕方ない。
「早坂クンよ」
「ん」
「ねえ知ってるよね? 私が、彼氏以外の男から触れられるの嫌う女だって」
「知ってる」
「知っていながら犯罪に手を染めたわけね」
「犯罪なのか」
そもそも早坂を部屋に誘ったのは私の方だ。
一人暮らしの女の部屋に男をあげること自体、何が起こっても自業自得というヤツなのだけど。こういう時ばかりは都合よく棚に上げて、文句を言う通り私がいる。
「女の寝込みを襲うなんて犯罪だ。万死に値する」
「……」
「おい、どこだ。どこにキスしたんだ貴様。場所によっては終身刑も免れないからな。言え」
「…………おでこ」
「かわいい」
「やめろ(笑)」
寝込みを襲った、なんて言うから身構えてたのに、返ってきた答えは何とも可愛らしいものだったから拍子抜け。おでこにキスって可愛すぎないかな。
そう思ってしまうのは、きっと相手が早坂だからだ。他の男から同じことを言われたら寒気がする。
よくよく考えれば、私は早坂にだけはよく絡んでいた。
彼氏以外の男に触られるのが嫌、なんて言っておきながら、早坂にだけは触れても触れられても嫌悪感を抱かなかった。
……いや、待って。
私、めちゃくちゃ早坂のこと好きじゃんか。
「反省は微妙にしてるんだね」
「……そういうの嫌いだって知ってたから。でも、七瀬も悪いだろ。どうなってもおかしくない状況で男を部屋に泊めるなよ」
「早坂に限ってそんなことしないって思ってたの」
「俺も男なんだって」
「ふーん」
「……ニヤニヤすんな」
「ふふ」
そんな会話を淡々とした。
どうなってもおかしくない状況と言えば、早坂の部屋に泊まってるこの状況でも同じことが言えるんだけど……とは、口が裂けてたも言えない。
あくまでも元彼から逃げる為の避難場所として、私は早坂のところに匿っている身だ。感謝はしても、揚げ足を取るつもりはない。
「……話が噛み合っていない、っていうのは?」
それが一番の難題だった。
いまだに意味がわかってない私に、早坂はやっぱり飄々とした態度でさらっと告げる。
「互いの主張がすれ違ってたから。七瀬は、俺の告白に対してどう応えるべきか迷ってたみたいだけど」
「……うん」
「そんなの聞かなくてもわかるから。いきなり告って、すんなりokの返事貰えるなんて思ってないから」
「ああ、うん、そっか」
「だから、知ってほしかっただけ。もっと頼ってほしいと思ってる奴がここにいるから、七瀬が1人で思い詰める必要ない。今まで通りに接するのは無理だって言ったのは、青木の事で悩んでる七瀬を知ってるのに、もう部外者面したくないって意味だから」
「……」
「俺は部外者だし、本人達の問題だから……って放置しなければ、あんな目に合わせなかった。だからもう、他人の振りは俺には出来ないって言いたかったんだ。ごめん、わかりづらくて」
「……ううん」
「あと、」
そこで言葉を切った早坂は、静かに息を吸い込んで再び口を開いた。
「好きな人を自分の手で守りたいって思うのは、男の性だと思う」
「……え?」
突然の告白に、箸がぴたりと止まる。
「俺がそこまで考えてる理由も、七瀬を自分の部屋に泊めてまで留まらせたい理由も、俺が本当の想いを伝えなきゃ納得しないだろ。同僚として心配だからって理由じゃ、説得性に欠けるし」
「……」
「他人事だと思ってるなら、俺もここまで関わらない。ここまで必死になるのは理由があるって、そこをちゃんと説明しないと駄目だって思ったから、今日告白しようって決めてた。ご理解頂けましたか」
「……え、あ、ハイ……」
十分すぎるほど理解した。
多分、今わたし、顔真っ赤だ。