#12
水森さやかは基本的に笑わない。
と言っても、不機嫌だとか愛想が無い、という訳ではない。どちらかといえば社交的な性格で、誰かと会話を弾ませている姿も、社内でよく見かける。
嬉しいときは頬がほんのり紅潮するし、びっくりした時は目を少し見開いて、表情も変わる。すごく、わかりづらいが。
いつも無表情に近いが、それでもひとつひとつの感情に、僅かな表情の変化はある。ただ微弱な変化なので、所見だと気づきにくい。
本人が喜んでいても笑みにならない程だ。
つくづく、変わった子だと思う。
見た目は可愛い。
背も小さい。
喋り方が舌足らずなのは、人に──特に女子に反感を抱かれやすいが、水森の場合、まず男に媚を売らない。
それでいて、あのサバサバした性格の持ち主だ。同性に嫌われるような要素が見つからない。
また、彼女はたまに変な発言をする。
変というのは、例えば親父ギャグを連発したり下ネタトークを展開させたり、男以上に漢らしい発言をしたり。顔に似合わず言う事がズレていて、大胆だ。
そして行動にも迷いが無く、常に淡々としているのが水森だった。
例えば夕食のメニュー然り、服装然り。女が延々と悩んでいそうな事も、彼女の場合はまず迷う事がない。決断力が早く、目の前にある課題や問題事も、難なくサクサクと裁いていく。
その清々しさと言ったらない。
優柔不断ではないという事だ。
可愛いのに無表情、そしてサバサバした性格と大食いキャラという意外性が、男性社員のみならず女性社員、はたまた上司から面白がられている。
お陰で水森は、アジュールのマスコットキャラ的な位置付けで、みんなに好かれているようだ。
・・・
水森と知り合って1ヶ月ほど経った頃。
エントランスで、彼女と清水課長の姿を見かけた。
俺より少し前に出社してきた水森を課長が見つけて、声を掛けてきたようだ。
「おー水森。おはよう」
「清水課長。おはようございます」
爽やかな笑顔を披露する課長とは逆に、水森はやっぱり無表情のままだ。
「今日もチビで無表情だなー」
「これが私のキャラです」
「ちゃんと朝ごはん食べたか? 歯磨いたか?」
「磨きました。歯磨き後はフロスで歯茎をシコシコキュッキュしました。ぬかりはないです」
「そうかそうか。えらいぞ水森。でも男の前でシコシコとか言うのはやめような」
「はい」
……朝からなんつー会話してんだよ。
軽くセクハラだろ。
冷めた顔で内心突っ込む俺をよそに、2人の周りに女性社員が集まってくる。
輪の中心にいる水森を見ていた俺に、背後から同僚の1人が話しかけてきた。
「おっす。何してんの桐谷クン」
「なあ、あれって」
「うん? あ、ミズキチちゃんと清水課長じゃん」
……ミズキチ?
「水森だろ?」
「うん。ミズキチちゃんって、あだ名な」
「あだ名?」
「本人が言ってた。小学生の頃から、あだ名が『みずきち』なんだとさ」
軽快に笑われて、胸に苦いものが広がる。
あだ名を知った経緯よりも、『本人から聞いた』という発言に反応してしまった。
「……なに、お前仲いいの」
「すれ違ったら話す程度だよ。ミズキチちゃん、誰とでも仲いいから皆に好かれてるし。友達多いんじゃない?」
「ふーん……」
「人気あるぜ、あの子。あ、人気って男にモテるとかじゃなくて。面白すぎるキャラだから」
「ああ……そういう事」
まあ、それはわかる、けど。
水森がああいうキャラだって知ってるのも、仲いいのも、俺だけじゃなかったんだなって。
当然と言えば、当然だけど。
なんとなく、面白くない。
「まあ、実際狙ってる奴もいそうだけどな。可愛いし」
「……」
「俺先に行くからなー」
「……おー」
やっぱり聞くんじゃなった。
朝から気分悪い。
その場から動けずに呆けてる俺の前で、同僚はエレベーターに乗り込み、さっさと4階へ上がっていく。
いつの間にか清水課長もその場を離れていて、水森の周りにいた女性社員も散っていく。
その場に残っていた彼女も、エレベーターへと歩きだそうとして──不意に、後ろを振り向いた。
思わず心臓の音が跳ねる。
目が合った瞬間、水森は驚いた表情を見せた。
俺が出社してきた事に、今気づいたらしい。
「ふおおおぉ。キリタニさんっ」
「……?」
かと思えば、今度は謎の奇声を発しながら両手を前に突き出して走ってくる。真顔で、だ。
何事かと思いながら、俺も同じように真似てみる。近づいてきた彼女の両手が、ぱちんと俺の両手と重なって音を弾いた。
唐突のハイタッチ。
「キリタニさん」
「はい」
「おはようございます」
「おはよう」
「聞きました。A社との契約、キリタニさんが結んできたって」
「ああ、それか」
「それです」
興奮やまぬ様子で、水森は身を乗り出してきた。
それは、互いに手を組んだ後日のこと。
彼女は【ある情報】を俺に教えてくれた。
その情報を元にすぐ行動を起こした結果、世界的にも有名なキャラクターを生み出した大手企業のA社と、版画作品の独占販売契約を結ぶことに成功した。
今までにない、大きな実績だ。
「すごいです、あのA社だなんて。上層部の方々はみんな諦めていたと、課長が言ってましたよ」
「持ち上げすぎだって」
そもそもこれは、水森の情報があってこそだ。
彼女が事前に教えてくれなければこの契約も無かったし、A社と繋がりを持つことすら出来なかった。
「そのお話、ぜひ聞かせてください」
「いいよ。じゃあ今日の夜、いつもの場所で」
「はい。楽しみにしてます」
そう言って、水森は俺から離れた。
他のマーケ社員と挨拶を交わし、共にエレベーターへと乗り込んでいる。
1人置いてけぼりをくらったような心境に陥っている俺は、その後もモヤモヤとした気分を抱えたまま、定時までの時間を過ごした。