#06



「……え。つぅちゃん、結婚するの?」

 竹井が海外出張の為に日本を経って、数日後。
 会社近くの喫茶店で、高校以来の友人でもある飯島つぐみ──「つぅちゃん」という愛称で親しまれている彼女と、ランチを共にしていた時のこと。
 いつも冷静なつぅちゃんにしては珍しく、ソワソワとした様子に首を傾げていた矢先。かれこれ6年お付き合いしている彼氏との結婚報告を受けた。

 幸か不幸か私の周りには独身が多く、つぅちゃんもそのうちの1人だった。
 その友人が結婚を経て人の妻になり、家庭を持つのだと思うと喜びもひとしおだ。

「おめでとう、つぅちゃん」
「ありがと。両親より先に朱里《あかり》に報告しちゃったわ」
「えー、なんか嬉しいね」

 私が能天気な声をあげると、つぅちゃんは瞳を細めて笑みを深くする。にこっ、とはにかんだ笑顔は本当に幸せそうで、見てるこっちまで幸せな気分になった。
 つぅちゃんの彼氏は喫茶店を経営している男の人で、歳は36。私達よりも10歳も年上のお兄さんだ。つぅちゃんを通して何度か会ったことがあるけれど、いつも穏やかで静かに微笑む、優しげな声が耳に残るマスターさん。ちょっと気が小さい人だけどね、なんて茶化しながら笑うつぅちゃんは、昔からしっかり者で人を率先して引っ張っていくタイプだ。
 大人しいけれど優しくて包容力溢れる彼氏さんと、姉御肌でしっかり者のつぅちゃん。誰から見てもお似合いの2人だと思う。

「これから忙しくなるね」
「まだプロポーズ受けたばかりで式場も何も決めてないからねー」
「でも、2人で色々決める時間も楽しそう」

 純粋に羨ましいと思った。結婚願望なんてなかったはずなのに、一番身近にいた友人が結婚をすることになって、初めて「結婚」というものを身近に感じた。

「式には呼んでね」
「もちろん。絶対に来てね」
「うん。つぅちゃんのウェディング姿楽しみ」
「私は朱里のウェディング姿も見たいなー。結婚する時はちゃんと教えてよ」

 ぐっ、と言葉が詰まる。結婚する時は、なんて言われて脳裏によぎったアイツの顔。
 結婚するかどうかは別として、プロポーズまがいなものは受けた。あくまでも、まがいなものだけど。

「……私、結婚できると思う?」

 自分と竹井が結婚する未来なんて全く想像できない。

「なんでそれを私に訊くのよ(笑)」
「うん……」
「結婚したい相手いるの?」
「……いるのかな?」
「なんで疑問系」
「……私もよくわからなくて」



 あの日。
 お風呂上がりにリビングに戻れば、部屋で待っているはずの竹井の姿はなかった。
 戸惑う私がふとスマホに目を向ければ、ラインの通知ランプが点滅している。送信相手は竹井だった。

『やっぱ帰るわ』

 なんて素っ気ないメッセージが残されていて。
 一気に脱力した。

「はあ……?」

 心底呆れてしまった。帰りたくないって言ってたくせに、帰りたくない空気を出していたくせに、……抱きたいって遠回しに言ってたくせに。あんなキスまでしておいて、結局私の気持ちも覚悟も、全部放り投げられたんだ。竹井のことは何でもわかってるつもりだったけれど、やっぱり、半年前からわからない事が増えた。
 中途半端に放置されて胸に残ったモヤモヤ感は、時間が経つにつれて怒りへと変わってくる。女をその気にさせておいて最終的に放置するとか、男としてどうかと思う。最低男のすることだ。だから竹井は最低だ。

 ラインは当然、既読無視した。竹井が日本を経つ時も、何もメッセージは送らなかった。そして竹井からラインが来ることもなかった。その現実に更に怒りは膨らんで、虚しさと惨めさが胸の中を渦巻いている。

 どうせ今頃、大好きな海外で楽しく仕事してるんでしょうね。私の事なんて忘れて、金髪のおねーちゃんと仲良くやってるのかもしれない。そう思ったら更にムカムカしてきた。
 むすっとしている私に、つぅちゃんは「どうした?」なんて無邪気に尋ねてくる。なんでもないと答えたけれど、つぅちゃんは何かを悟ったらしい。突然ニヤリと笑みを浮かべた。

「竹井と何かあったでしょ」

 どうしてピンポイントで竹井を名指ししてくるのか。エスパーなのか。違う、と否定したところで恐らく誤魔化せそうにないのは彼女の表情で伝わってくる。

 つぅちゃんは、私と竹井が昔付き合っていたことを知っている。でも、別れた後に私が竹井を密かに想っていたことは話していない。だからつぅちゃんは私の片想いを知らないはずだし、私と竹井の仲を怪しんでいた風にも見えなかったのに。

「……竹井、なんか喋ったの?」

 アイツが余計なことを喋ったとしか思えない。
 そう思ったけれど、つぅちゃんはニコニコしながら首を横に振った。

「まさか。アイツは自分からべらべら喋るような奴じゃないよ。秘密主義者だもん」
「……そう?」
「でも、朱里も竹井も結構わかりやすいでしょ。よく態度に出るから」
「……え?」

 その一言に驚く。つい眉間に皺を寄せてしまった。
 私はともかく、普段からクールぶっている竹井は感情なんて一切顔に出さないような人間だ。態度だって淡々としていて、喜怒哀楽を表に出すことがほとんどない。

「……むしろアイツ、わかりづらくない?」
「朱里の事になると、面白いくらい態度に出るわよ、アイツ。周りはみんな気づいてたもん、竹井が朱里のこと好きだって」
「……嘘。いつから?」
「私が気づいたのは高2の時かな」
「……」

 高2といえば、初めてつぅちゃんと同じクラスになって仲良くなった時期だ。もちろん竹井も同じクラスだったから、3人で話す機会も多かった。
 あの頃から竹井は私を好きでいてくれていて、つぅちゃんもその事に気が付いていた……なんて言われても、思い当たる節が無いから正直信じられなくて。

「朱里、鈍感すぎるんだってば」
「……そんなことないと思うけど」
「それで?」
「うん?」
「竹井と何があったの? 教えてよ」

 そこで身を乗り出してきたつぅちゃんは、期待に満ちた視線を私に向けてきた。私と竹井に何かがあったと信じきっているみたいだ。キラキラした瞳が、早く話せと私に急かす。

「……ヨリ戻したいって言われて」
「おー、遂に」
「……あと、プロポーズっぽいこと言われた」
「……え!?」

 つぅちゃんの声が一際大きく跳ね上がる。彼女の中では、私達がヨリを戻すことは予想の範疇だったみたいだけど、プロポーズのことまでは想定していなかったみたいだ。驚愕に満ちた表情は、途端に嬉しそうに破顔した。

「ちょっと朱里! もうっ、なにそれ朱里ってば!」

 バシバシバシッと何度も肩を叩かれる。地味に痛くて止めようとしても、私の制止の手を振りほどいて、今度は両肩を掴んで激しく揺すられる。首もげそう。

「ちょ、つぅちゃん落ち着いて」
「ねえ、なんでそんな美味しい展開になってるの!? 何てプロポーズされたの? 教えてよ~!」

 美味しい展開ってなんだ。突然テンションMAXになったつぅちゃんが、さも楽しそうに私に問い詰めようとする。けれど正直、私はそのノリに乗ることができなかった。あくまでもプロポーズまがいなものだし、そもそもヨリを戻すのかどうか曖昧なまま、竹井は帰ってしまった。
 互いの想いは確かめあったけど、じゃあ私達は今付き合っているのかどうか訊かれても、どうなんだろう? と首を傾げる他ない。

「竹井がね」
「うんうん」
「いずれ海外で仕事したいって、夢なんだって」
「へーかっこいい」
「その時に、連れていきたいって」
「朱里を?」
「うん」
「わーお。大胆なこと言うね」

 さすがのつぅちゃんも驚いた様子だった。

「……これってプロポーズになる?」
「なるんじゃない? 愛情表現下手くそな竹井らしい」
「……愛情表現」

 慣れない単語にぱちぱちと瞬きを繰り返す。竹井に似つかわしくない言葉だな、なんて思う私の前で、つぅちゃんはホットサンドにかぶりつきながら、私の眉間をツンツンした。

「結局どうなの? ヨリ戻したの?」
「……返事してない」
「朱里は竹井とやり直したいの?」
「……やり直したい、けど」

 竹井とヨリを戻しても断っても、いずれ離ればなれになる。竹井が実務研修に向かえば、きっと数年は会えない。海外駐在員になれば尚更、いつ会えるかもわからない。遠距離恋愛は私が情緒不安定になる予感しかしないし、仕事を辞めて竹井に着いていくのも不安が残る。
 それに正直、日本から離れたくない。
 竹井は海外移住に憧れているみたいだけど、私はそこまで海外への熱意はない。

「今度はちゃんと考えなよ。何も考えないまま竹井の告白に流されたから、大学の時に失敗したんだから」
「うん……」

 私ももう26歳だ、恋愛で失敗はできない歳になってしまった。まだ若かったあの頃とは違う。

「……せめて海外じゃなければよかったのに」

 まだ国内の遠距離なら、こんなに悩まなかったかもしれないと。
 そう思ってしまう私はやっぱり、最低なままなんだろうか。



・・・



 それからまた数日が過ぎて、竹井に対する憤りも徐々に薄れてきた頃。

「あーかーりー先輩!」

 背後から大声で呼ばれて頭を抱えた。社内では名前で呼ぶなって言ってるのに。

「……鈴原」
「あーやっぱり! そのフラッフラした歩き方はあかり先輩だ。お疲れさまです!」

 会社の後輩で、いとこでもある鈴原が猛ダッシュで走り込んでくる。猫っ毛のヘアスタイルをなびかせて、キラキラした笑顔を周囲に撒き散らしながら私目掛けて手を振っていた。
 元気なのはいいことだけど、高身長でそこそこ顔もいい鈴原はそれだけで人目を引く存在だ。大声で名前を呼ばれたこっちまで目立ってしまって居たたまれなくなる。

「……鈴原、危ないから社内で走っちゃダメ。大声出すのも禁止。あと私、フラフラ歩いてないから」
「あ。鈴原って言った。他人行儀でイヤだって言ったのに。あだ名で呼んで」
「……鈴ちゃん」
「はい!」

 ぱっと笑顔に変わった鈴原こと鈴ちゃんは、この通り人懐っこい性格でまさに犬系男子と言った感じ。彼の周囲はいつも賑やかで笑い声が絶えないほどで、男女問わず鈴ちゃんは人気者だ。私にとっても鈴ちゃんは弟のような存在で、とにかく可愛い後輩でもある。盆や正月は親戚同士で集まることが多く、鈴ちゃんとは幼い頃から家族ぐるみでの付き合いだ。
 でも会社では、先輩と後輩の間柄。線引きはきちんとしたいと思っている私としては、彼から下の名で呼ばれることに抵抗がある。けれど鈴ちゃんは抵抗がないようで、上司のいない場では親しみのある名前で呼ぼうとする。誰に対しても下の名前で呼ぶことが、鈴ちゃんにとってアイデンティティのようだ。
 ……私は数十年の付き合いになる竹井でも、名前で呼んだことがないのにな。

「鈴ちゃんはいつも元気だね」

 昔ながらの顔馴染みだけあって、鈴ちゃんの前だと素が出てしまう。嫌味っぽく聞こえたかな、と不安になったのは一瞬のこと。

「俺はいつも元気っすよ! だって、会社に来れば好きな人に会えますから!」
「ちょ、鈴ちゃん声大きいってば」

 そう、鈴ちゃんには好きな人がいる。私と同じ課に所属している、1つ上の先輩だ。
 超絶美人で口数が少なく、ミステリアスな雰囲気を漂わせている彼女は、社内では高嶺の花と謳われている。その彼女に、鈴ちゃんは絶賛片想い中。
 かなり頑張ってアピってるみたいだけど、やや天然な彼女には、鈴ちゃんの真っ直ぐな想いがなかなか通じていないらしい。

「今日も帰りに待ち伏せするの?」
「なんかその言い方やだ……俺ストーカーみたいじゃん」
「違うの?」
「違うし! それに今日は、一緒にディナーの後に公園デートだし!」
「え」
「聞いて! やっとデートにありつけた!」

 キラキラと瞳を輝かせながら、鈴ちゃんは今日のデートプランを(訊いてもいないのに)捲し立てる。なかなか苦戦していると思いきや、鈴ちゃんの努力は徐々に報われてきているようだ。
 鈴ちゃんが本当に嬉しそうに笑うから、その笑顔に私の心もほっこりしてくる。全力で片想いを楽しんでいて羨ましい。私とは大違いだ。

「定時まであと1時間だね」
「やばいやばいやばい緊張してきた」
「変に格好つけないで、いつも通りでいいんだよ。その方がお互いストレスなく楽しめるよ」
「そーかなーー、あーーーー」

 謎の奇声を上げながら鈴ちゃんは唸り始める。途端に表情が強張って、かなり緊張している様子が窺えた。ちょっと可愛い。

 鈴ちゃんが、先輩を振り向かせたくて頑張っているのを知っている。何度も恋愛相談を受けたんだから、私も鈴ちゃんの恋をずっと応援してきた。
 彼にとってはやっと掴めた、千載一遇のチャンス。相手はかなり強者だしライバルも多いだろうけど、絶対に上手くいってほしい。がんばれ、と一言渇を入れてから、私も急いでオフィスに戻った。
 定時までもう少し。人の動きも慌ただしくなっている。今日の業務を就業前に終わらせるべく、みんな必死なんだろう。バタつくオフィス内を尻目に、私も席について手元の書類に目を通す。

「……あ」

 スマホを机に置いた時、鈴ちゃんからLINEが届いた。『今日頑張ってくるから、帰ってきたら話聞いてね!』なんてメッセージが残されてきて、つい顔が綻んだ。
 素直な鈴ちゃんは本当に健気で一途だ。「あの人がいるから会社に来るのが楽しみ」なんて、なかなか言えない台詞じゃないだろうか。普段から鈴ちゃんは「あの人がいるから仕事頑張れる」とか平然と言うし、そう思えることが凄いと思う。
 そんな素敵な言葉を、一度でもいいから好きな人に言われてみたい。
 ……まあ、竹井に期待しても無駄だろうけど。

「……はあ」

 無意識に溜め息が零れる。ちょっとでも気が緩むと竹井のことばかり考えてしまう。けど、鈴ちゃんのようなキラキラした感情じゃない。もっとジメジメしたものだ。

「北川さん」
「……」
「北川さん?」
「あ、はい」
「内線入ってますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。誰からですか?」
「国際営業部一課の竹井さんからです」
「……」

 内線に掛かってくるのは初めてで動揺した。
 ……帰って、きてたんだ。

「……わかりました、繋いでください」




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優しい明日の壊し方|本編6話
転載先:ムーンライトノベルズ
柚木結衣 ( HP / 拍手 )



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